法語に込めた思い

 生きていく中でたくさんの悩みや苦しみに直面します。それを自分の問題として背負い、越えていくことを教えてくれるのが念仏の教えだと思います。この教えを「竹の杖」に見立て、夫婦やご門徒と一緒に掴み、歩んでいこうという願いを込めて書きました

掲示板に込めた思い

 取材に伺った12月中旬、光明寺は在家報恩講が勤まっている真っただ中だった。在家報恩講は、各集落のご門徒の自宅を一軒一軒まわり、約1カ月かけて勤められる。他にも毎月、お寺にご門徒が集まり、声明や真宗の教えを学び、日々の所感を語り合う場も開かれている。こうした背景もあってか、光明寺はご門徒との距離が非常に近い。掲示板も、そのご門徒の方々から寄進されたものであるという。
 この掲示板に掲示される内容は多岐にわたる。仏教についての言葉もあれば、詩や何気ない日常の一言など、一見すると仏教とは関係のない言葉も多くみられる。そのことについて齊藤曉生住職は「言葉の裏に仏さまの教えが流れているものであれば、掲示するものはなんでもいいと思っている」と語る。
 仏教は、日々直面する苦悩から逃げるのではなく、苦悩と向き合い、自分の問題として受けとめ、生きていくことを教えるものだろう。それを齊藤住職は一つの言葉に縛られることなく、さまざまな言葉を紡ぎながらご門徒に伝えようとしている。そこには、仏教をより多くの人に身近に感じてもらいたい、そして自身もご門徒とともに仏道を歩んでいきたいという想いが込められているのだろう。

(九州教区通信員 中村 大心)


『同朋新聞』2025年3月号「お寺の掲示板」より

ご紹介したお寺:九州教区 鹿児島組 光明寺(住職 齋藤 曉生)

※役職等は『同朋新聞』掲載時のまま記載しています。