痛いの痛いのとんでいけ(三池 大地 教学研究所研究員)</p>


私の兄には四人の子どもがいる。子どもたちは外で遊ぶことが大好きで、ときにケガをしてくることもあった。

兄とその子どもたちと一緒に、祖母の家を訪ねたときのことである。到着してからほどなくして、子どもたちが近くの公園に遊びに行きたいと言うため、兄と子どもたちは公園に向かった。その間、私は家に残って祖母と世間話をしていた。しばらくすると、玄関の開く音が聞こえてきた。子どもたちが帰って来たと思ったら、一人だけ泣いて入ってきた。泣いている理由をたずねると、跳び箱のような遊具を勢いよく飛び越えて、着地を失敗したらしい。顔にはすり傷、頭にはたんこぶができていた。

泣きやまない子どもの様子を見て、私はどうすれば泣きやんでくれるのか悩んでいた。その子が泣き続けているのは、私たちを困らせたいからではない。思いどおりにならなかったことで、行き場のない感情をどうにかして伝えようとしていたのであろう。泣きやまない子どもを見た祖母が「痛いの痛いのとんでいけ」という言葉をかけると、少しずつ子どもが泣くのをやめていった。その言葉は、私にとっては懐かしく親しみのあるものであった。

私は幼少期に、ブランコを使って遠くにジャンプをする遊びをしていたら、着地を失敗して泣いてしまったことがある。泣いたのは、ケガが痛くてというよりも、周囲の友人ほどうまく飛べなかったことに恥ずかしくなったからだ。泣き続ける私を見て、周りの友人が心配して声をかけてくれた。しかし、それによって私はさらに恥ずかしくなっていき、この感情をどこにぶつければいいのか分からず、泣くことしかできなかった。すると母が近くに寄ってきて、祖母と同じ言葉をかけて癒してくれた。

兄の子どもと祖母の光景を見て、私は奇しくも母との思い出を振り返ることができたが、祖母のように、泣き続ける子どもにかける言葉は出てこなかった。それは、癒しの言葉を忘れていたからではない。私は泣き続ける姿に困っていただけで、子どもが投げかけていた、言葉にならない感情を聞こうとしていなかったのである。

子どもが、行き場のない感情を伝えに家に帰って来たのは、ここなら受けとめてくれると信頼していたからであろう。そして祖母は、言葉にならない思いに気づいて欲しいという願いを受けとめ、それに応じた。そこには、心が通い合うやさしい空間が広がっていた。

(『ともしび』2025年5月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)

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