浄土の真宗は証道今盛りなり「後序」『真宗聖典 第二版』四七二頁)(教学研究所研究員・松下俊英)</p>
標題の文は「竊かに以みれば、聖道の諸教は行証久ひさしく廃れ」に続く、いわゆる「後序」の冒頭のことばである。その少し後に、親鸞聖人は「真宗興隆の大祖源空法師、幷びに門徒数輩、罪科を考えず、猥りがわしく死罪に坐す。或いは僧儀を改めて姓名を賜うて遠流るに処す。予は其の一なり」(『真宗聖典 第二版』四七三頁)と記されている。
以前、この「後序」に関して、ある先生から次のように聞いたことがあった。〈法然上人を筆頭に吉水教団は弾圧され、流罪に、そして死罪にまでされてしまった。だから親鸞聖人の現実というのは「今盛り」どころか、まったくの真逆である。にもかかわらず「浄土の真宗は証道今盛りなり」と聖人はおっしゃった〉と。つまり、現実が凄まじく苦難であるのに、師・法然上人から教えられた念仏こそが真実であるといただかれた親鸞聖人のお心が、この「今盛りなり」に表れているというのである。
仏陀釈尊が在世の紀元前六世紀のインドでは、ヴェーダ聖典にもとづく祭式を中心とする宗教が、司祭者のブラーフマナ(婆羅門)によって伝統されていた。その中にあって、伝統宗教とは別に、釈尊などの沙門(求道者)が多数現われた。その沙門たちを伝統宗教の者たちは、快く思わなかったようである。
ある経典には、我らブラーフマナは、多くの人びとのために祭式を行い、また他者にも行わせているのに、一方で沙門たちは、自分ひとりだけを調え、静め、自分だけのために修行をして個人的である、と示される(『増支部経典』)。端的に言えば「仏教というのは、個人的で独りよがりではないか」という批難である。
次のような描写もある。ある青年のブラーフマナたちが出家して仏弟子となった。その彼らに、ヴェーダの伝統を継承するブラーフマナが「ブラーフマナだけが最上の階級であり、他は下劣な階級である。おまえたちは、最上の階級を捨て、禿げ頭で、卑しい沙門たちに従っている。これはふさわしいことではない」と批判するものである(『長部経典』)。
また、釈尊が村に向かって歩いていると「そこで止まれ、禿げ頭。そこで止まれ、卑しい沙門め」と罵倒するブラーフマナも描かれている(『スッタ・ニパータ』)。
いずれにせよこれらの批難や罵倒は、釈尊の教えによって一蹴されている。さらに言えば、時を経て大乗仏教が起こった際にも、同じ仏弟子でありながら、大乗は仏説ではない という批判がなされていくことになる。このように、仏教が起こって以来、仏教の内外を 問わず、さまざまな批判のあったことは仏教自身が言い伝えてきたことである。
──親鸞聖人は、ご自身の苦難の中にありながら、「今盛りなり」といただかれている。 どんな現実にあっても、そのお心を仰ぎ、その心と一つになることがあるのならば、そこに〝私の今〟がはじまるのだと思う。
(『真宗』2025年5月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
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