法語に込めた思い

 自分の経験や知識といった私の思い込みの中でさまざまなことを決めつけ、人や物事と出遇えないまま、そこにある思いや背景を発見できなくなることがあります。これは聞法することによって知らされる私のあり方です。「決めつけ」と「思い込み」を破って発見と出遇いを開くのが仏教なのでしょう。

掲示板に込めた思い

 淨光坊は境内一面に広がる美しい苔庭が印象的なお寺であり、報恩講の際には、ご門徒の作品を展示するなど、多くの方に親しまれている。
 掲示板は道路に面しており、道行く方も足を止め、法語に触れている。掲示板による伝道は、前住職夫妻が長年続けられてきた。
 現住職が引き継いだ当初は、『雑草の輝き』(高松信英著)を輪読する「『歎異抄』に学ぶ同朋会」に合わせた言葉を掲示していた。やがて、多くの人に見ていただくため、教えや経典からの言葉に限定せず、教えを請うた先生方の言葉やヒット曲の一節、自身の思ったことなど幅広く掲示するように。ご門徒が言葉を紹介してくれたこともある。
 ご門徒の要望で、法語の掲示を月に1回から2回に増やしたほか、「言葉の意味が知りたい」という声を受けて、選んだ理由や自分の受けとめを法語の横に載せている。読む方の感じ方や、言葉の受けとめ方が狭くならないように注意を払っているという。
 五辻住職は、「内容を考えることは自身の学びになっています。良い言葉を知った、だけで終わらないように、紹介した言葉について同朋の会で取り上げ、深めていきたいですね」と語られた。

(三重教区通信員・山田 潤貴)


『同朋新聞』2025年7月号「お寺の掲示板」より
ご紹介したお寺:三重教区 四日市組 淨光坊(住職:五辻 元)
※役職等は『同朋新聞』掲載時のまま記載しています。