2025年4月17日から23日(京都・東本願寺から吉崎別院への御下向)、5月2日から9日(吉崎別院から京都・東本願寺への御上洛)にかけて行われた第352回蓮如上人御影道中。御下向、御上洛、それぞれ全行程に同行した真宗大谷派(東本願寺)職員によるレポートをお届けします。

御影道中では、法話を担当する「随行教導」、責任者の「宰領」をはじめ8人の「供奉人」と呼ばれるお供の方々が、御輿車(リヤカー)のかじ取りや「蓮如上人様のお通り」の先触れの声、交通安全の誘導、浄財のお引き受けなどを担当します。そこに自主参加と呼ばれる一般参加の方が加わります。また、御影道中の運行を円滑かつ安全にすすめるため、蓮如上人御影道中協力会の方々がさまざまな形でサポート。そして、毎年道中一行をお出迎えするお立ち寄り会所宅のご家族やご近所の方々の丁寧な準備によって、蓮如上人の御影はお迎えされます。

★本年の御影道中ではGPS端末を利用したリアルタイム位置情報を共有しました。位置情報の履歴はこちらからご覧いただけます。道中がどのようなルートを通るか、ぜひご覧ください。

※レポートの内容は吉崎別院公式Instagramに投稿された記事を再編集したものです。

目次

◆御下向(4月17日~23日)

2025年(第352回)蓮如上人御影道中の御下向がご出立です。

13時から真宗本廟(東本願寺)阿弥陀堂において、「御下向式」が執り行われました。

「御下向式」では、大谷裕新門の挨拶、正信偈のお勤め、木越宗務総長と、随行教導の國分大慶氏からの挨拶などがあり、参拝に訪れた約300人が、蓮如上人の御影と一行の出発をお見送りしました。

14時過ぎに東本願寺を出発した御影道中一行は、桜の残るお東さん広場を通り烏丸通を北上して御池通から蹴上坂へ。本日は滋賀県大津市にある宿泊会所の等正寺さままで歩きます。

真宗本廟・東本願寺を出立した一行は、蹴上を通り、最初のお立ち寄り場所のご門徒さんのお宅で接待をうけ、旧東海道沿いの閑栖寺さまにも立ち寄らせていただき、最初の勤行、法話がありました。
一行は上り坂の続く中、逢坂の関跡まで歩みを進めます。

定刻の19時頃、今夜のお宿、蓮如上人が3年逗留されたとされる等正寺さまに無事到着しました。堅田の源兵衛さんの物語もこの等正寺さまには伝わっています。


19時半からお勤め、源信僧都が彫られたといわれるご本尊を前に、その源信僧都も連なる念仏の歴史が綴られた「正信偈」を同行一同で唱和します。親鸞聖人がおつくりになり、蓮如上人によって広められた「正信偈」の重みをあらためて感じるひと時です。

今朝は6時少し前に宿泊会所の等正寺さまを出発し、御影道中2日目の歩みがはじまりました。

春霞の琵琶湖を右手に見ながら、御下向最長距離を進みました。


お昼は堅田の源兵衛さんゆかりの光徳寺さまにお立ち寄り。境内の桜が綺麗でした。

その後、幼稚園の子どもたちが応援に綱をひいてくれます。

沿道では蓮如上人に手を合わす方々、お賽銭を持って走り寄る方、お花をそなえてくださる貴い方の姿がみられます。

蓮如上人も感じたであろう琵琶湖の風を感じながらの道中です。

本日のお宿・最勝寺さまでは、蓮如上人ゆかりのお寺の縁起が拝読されました。

最長距離を歩いた本日の歩数は58,000歩を超えていました。

道中3日目は高島市を北上、お昼休憩の今津・浄立寺さままで到着しました。お立ち寄り会所のお寺では、蓮如上人ゆかりのものを住職さんが説明してくださる場面もあります。

そして、道中では、地面にしゃがんで合掌し、蓮如上人をお迎えする方々の姿や、お花をそなえる方が見られます。

夏のような日差しではありますが、琵琶湖を吹く4月の爽やかな風が心地よくもあります。

気温26度の中、高島市をマキノまで進んだ御影道中3日目。

暑さはしんどいですが、休憩でいただく飲み物の美味しいこと。

先程、本日のお宿、榮敬寺さまに到着しました。

勤行に続いて随行教導の國分大慶氏より、「蓮如上人御一代記聞書」を御讃題に法話がありました。

こうして、蓮如上人と歩む道中は、越前を目指します。

今朝は6時少し前にマキノの榮敬寺さまを出発。霧がかかり、幻想的な朝の琵琶湖を眺めながら「蓮如上人さまのお通り」の触れ声に導かれながら進みます。

お立ち寄り会所では、この行事によって蓮如上人に心を寄せることができると語られる住職、お寺の周りの桜の花を蓮如上人のお櫃のお荘厳として、お迎えされるお寺、地域の公民館に皆さんで集まり、お出迎えされるお寺。

それぞれに心尽くしのお出迎えをいただきます。

まもなく越前の国に入ります。国境では、遅咲きの桜の花を眺めながら、地元で採れた筍や山菜を使ったご飯をいただき、吉崎に向かって再び歩みを進めます。

昼食を前に、遂に滋賀県から福井県に入りました。運河で栄えた疋田の町の西徳寺さまが越前の国、最初のお立ち寄り会所です。

その後、「越路なるあらちの山に行きつかれ足も血潮に染むるばかりぞ」と、御流罪になられた親鸞さんが当地に泊られ詠まれた歌の歌碑の前でお勤めをします。そして、歌碑を管理してくださっているご門徒さんがその由来を説明してくださいました。山々に念仏の声が響きます。

旧北陸線の雰囲気あるトンネルも超え、途中、山の集落に入るところではお猿さんのお出迎えもありました。自然の中を自然の理を感じながら歩む道中です。蓮如上人も感じたであろう、村の温もりと風を感じつつ…。

18時前からはこの道中、最初の雨。

これも自力無功を知らせる仏法のはたらきかもしれません。

御輿車にも雨がけをし、供奉人さんはじめ参加者も雨具を着て、今夜のお宿・意力寺さまに向かいます。
意力寺さまに向かう長い坂道、「ヨイショ、ヨイショ」の声が、雨に霞む山々にこだまします。
一行みんながそれぞれに力を合わせて、御下向最大の難所とされる明日の木ノ目峠に備えます。

今朝は6時に意力寺さまを出発。蓮如上人の御影は、背負子にお乗せしてお運びします。

残雪も残る木ノ芽峠の山頂。500年続くという茶屋・前川家の51代目ご当主にお出迎えいただき、無事に峠を越えます。

途中、残雪を宰領さんがハンマーで砕き道を作りながら歩みます。
一行は、無事今庄のふもとの集落に到着です。
さて、これから今庄宿に向けて再び御輿車に御影をお乗せして進みます。

木ノ芽峠を越えた一行は、南越前町の門徒宅を周ります。門徒さん宅では、蓮如上人の御真筆の六字名号のお軸がかけられた前にお櫃を安置し、高座の上での法話もありました。
今庄宿の浄念寺さまで昼食をいただき、宿場町を進みます。

南越前町から武生に向かう田園風景と芝桜、新緑の山並みもとても綺麗です。途中、北陸新幹線の高架下で一休み。北陸新幹線は時速260キロ、御輿車は時速5キロで進みます。

いよいよ武生に入り、門徒さん宅に保管され、地域で管理されている見事な御輿車に蓮如上人のお櫃をお移しし、高張提灯の先導にて、夕暮れの武生の町をゆっくりと進みます。
今夜は、武生の浄秀寺さまに泊らせていただきます。

今朝は6時に武生を地域の御輿車でお立ち。
武生の街並みをゆっくりと進みます。

蓮如上人が雨宿りに腰掛けたということから、玄関先に畳を用意して蓮如上人をお迎えするお宅もあります。
その後、光澤寺さまにて武生の御輿から再び蓮如上人のお櫃をお移しし、蓮如上人が洪水で渡れなかったことにより一泊したと伝わるご門徒さんのお宅に立ち寄った後、鯖江市に入りました。

お立ち寄り会所での蓮如上人への心尽くしのおもてなしを一行も受けながら、今夜到着予定の福井別院まで歩んでゆきます。

午後は、鯖江市から福井市に入ります。旧街道を通って御影道中は進みます。
旧街道筋では、「ああ、今年も蓮如さんにお会いできた」と手を合わせながら涙ぐむ方もおられました。
ご門徒宅の会所も多くなります。

浄得寺さまからは、福井別院のお迎えの提灯が先導し、いよいよ福井別院に向かいます。真宗大谷派(東本願寺)の新入職員も、研修の一環として、ここから御影道中にお供させていただきます。足羽川沿いで、蓮如上人が濡れた衣を乾かしたというお宅では、道中唯一、蓮如上人のお櫃の覆いをとります。これは衣の水を絞ったという言い伝えに基づいています。

そして18時半過ぎ、無事に福井別院に一行は到着し、道中最後の一夜を過ごします。
御下向6日目・最終日の明日は、福井東別院を出発し、坂井市、あわら市を通り、いよいよ吉崎別院に到着します。


昨夜からの雨の中、福井別院を7時半に出発した一行は、福井市内の旧街道に沿って吉崎に向けて歩みを進めています。

お立ち寄り会所に立ち寄らせていただきながら、雨を凌げるありがたさを感じます。緑も雨で鮮やかでもあり、雨の日は雨の道中があります。

坂井市に入り、親鸞聖人御流罪の道中の伝承の地にも立ち寄り、お参りをしながら進みます。
今日も街道沿いには、手を合わす方々の姿があります。
雨も小雨になった頃、一行はあわら市に入りました。

あわら市に入った一行は、坂の下観音堂から照嚴寺さまに立ち寄り、細呂木の郷に入ります。そこで、最後の会所に立ち寄らせていただき、そこからは提灯の灯りを頼りに切り通しの道を歩みます。
小雨模様も相まって、霧の中の幻想的な道のりです。途中、吉崎の町からの高張提灯のお出迎えを受け、いよいよ吉崎の町に入ります。

多くの方のお出迎えを受け「蓮如上人、吉崎にお着きー」の触れ声の先導で吉崎の町を周り、蓮如上人一行は、7日間約200キロの徒歩の旅を終え、無事吉崎東別院に入られました。
ここから吉崎東別院での蓮如上人御忌法要が5月2日まで勤まります。

《御影道中「御下向」を終えての感想》

吉崎別院(御影道中)活性化プロジェクトを担当し、昨年は御上洛、本年は御下向の全行程をお供させていただきました。
三百年以上続く道中、時代を経ても変わらぬものがあれば変わるものもある。浄土真宗の真髄は、他力に包まれた「生活の仏教」ということに尽きる気がします。人間として生きる、止むに止まれぬ生活…。蓮如上人に導かれ、まさに全身で「生活」を体解しながら歩く、それが私の御影道中でした。

「自然」の美しさや偶然性に如来の御恩を思い、ともすれば恩寵主義に留まりそうになるのですが、私をそこに留まらせおかない如来のはたらきの凄まじさがあります。

蓮如上人につながる綱は、まさに「自我を知らせる他力の綱」でした。綱にぶら下がるような力を感ずればイラっとし、疲れのピークに達すれば、些細な会話も耳障りに感じることもありました。どこまでも自分を立て、他を排除する自我が見えてきます。そして、そんな我が身も「自力無功」を知らされ、吉崎への一歩一歩は、我が計らいのようで我が計らいにあらずの「他力の道中」でありました。

-蓮如上人御影道中協力会機関紙『蓮響十方』より-

(企画調整局出仕・真宗教化センター寺院活性化支援室寺院活性化支援員 松田亜世)

◆御上洛(5月2日~9日)

東本願寺へ出立の朝。
今日は一日雨予報のため、早朝から御輿車にレインカバーをかぶせました。
朝6時30分から勤まった晨朝の後、地元消防団の担ぐ御輿で蓮如上人は吉崎別院の本堂を出ました。そのまま吉崎地域を練り歩いた後、御輿車に乗り換え、東本願寺に向けて出発しました。

朝からの弱い雨は徐々に激しさを増し、お昼前には土砂降りになりました。冷たい雨の中、「ご苦労さま雨の中」と大声をかけてくださる方や「なむあみだぶつ」とお念仏を称える方の姿があたたかく感じます。

お立ち寄り会所の斉藤さま宅のお内仏の名号は蓮如上人の直筆です。太田随行教導によると、蓮如上人の名号は南無阿までで全体の3分の2のスペースを使っていることが特徴とのこと。お勤め、法話の後、参加者皆で拝見させていただきました。

本日は、20時20分頃、宿泊会所の福井別院に到着しました。厳しい天候の中でしたが、道中沿道では多くの手を合わせる方の姿がありました。このことから太田随行教導は法話の中で「幸福とは他者と比べることでもそう思い込むことでもなく、拝めることが幸福なのではないか」と語られました。

御上洛2日目は快晴。朝7時からの晨朝、出発式の後、蓮如上人一行は、福井別院を出発しました。出立の際は福井別院の皆さんが御輿をお運びしました。

午前中は暑くも寒くもなく、田畑を吹き抜ける涼しい風を感じながら歩みました。
お立ち寄り会所では参詣の方が「蓮如上人にあえたから、また今年一年元気に過ごせるかもね。また来年蓮如上人に会いたいね」と話す姿がありました。

またある会所で太田随行教導は法話で「お立ち寄り会所は、ご先祖が会所にすることを決めたということだけではない。それよりも遠くからの縁があって結ばれたもの。ということは蓮如上人がこの家を選んで会所になった、蓮如上人のお誘いがあったと言えるのではないか」と話されました。

善良寺さまから東称名寺さままでは東称名寺子ども会「わらべの会」の子どもたちも綱に参加して一緒に蓮如上人にお供しました。

光澤寺さまから圓宮寺さままで、蓮如上人は武生の御輿で進みます。

19時過ぎ、蓮如上人は無事本日の宿泊会所の圓宮寺さま(越前市)に到着しました。
到着後、正信偈、重誓偈、嘆仏偈のお勤めがありその後太田随行教導からの法話がありました。

御上洛3日目の朝、蓮如上人は圓宮寺さま(越前市)を武生の御輿で御出立です。出発直前に小雨が降ってきたのでレインカバーを装着しました。

湯尾峠、蓮如上人は背負子で歩みます。湯尾峠は一足遅い新緑の季節。太田随行教導によると、今がちょうど「山笑う」の季語が合う頃とのことです。やさしい木漏れ日のさす中、皆で背負子を交代で背負いながら歩みました。

蓮如上人は無事、浄念寺さま(南越前町)に到着しました。天候に恵まれた新緑の美しい景色の中、和やかに歩かせていただいた一日でした。

気温7度、綱をひく手がかじかむ寒さの中、蓮如上人は浄念寺さまを御出立です。朝6時の早朝にもかかわらず、村の沿道には「がんばってください」と声をかけてくださる方やお花をおそなえしてくださる方の姿があります。
今日は御上洛の難所、栃ノ木峠を越えていきます。

御影道中一行は、栃ノ木峠を進み福井県を出て滋賀県に入りました。日中は歩くと汗ばむくらい気温が上がり、山頂では毎年恒例のアイスの差し入れをいただきました。

蓮如上人は越前から近江の国へ、本日の最終地点の明樂寺さま(滋賀県長浜市)に到着しました。
今日は大阪から来られた親子や大垣から来られたご夫婦が飛び入り参加され、いずれも御影道中のGPSを確認しながら合流されたとのこと。御影道中は一部でも飛び入り参加大歓迎です!

御上洛5日目の5月6日は、明樂寺さまを出発し、長浜別院まで進みます。朝から地元の方も綱に加わり、本日は本降りの雨の中の御出立です。

本日は雨が降ったりやんだりの中、短い距離を歩いては立ち寄る会所、会所でのご丁寧なおもてなしを受けながらの道中でした。

太田随行教導はある会所の法話の中で御影道中について「花咲か爺さんのように信心の花を咲かせて歩く」と表現され、また、「御影道中の紅白の綱には電流のように教えが流れている。どこかで終わると考えない方が豊かな世界がある」と語られました。

御上洛6日目、今朝は曇り。気温13度の少し肌寒い中、朝9時に長浜別院を出発しました。出発前のお朝事では、長浜別院のご門徒から「道中気をつけて、来年もお待ちしております」との代表挨拶をいただきました。

本日は米原市、彦根市、豊郷町、愛荘町を通り、寳満寺さま(滋賀県愛知郡)まで進みます。

お昼休憩の善行寺さまでは、門徒さんと副住職が少し前にお出迎え。お寺まで一緒に歩きました。
善行寺さまの昼食ではお弁当と門徒さん手作りの高野豆腐のフライをいただきました。とても美味でした!

お昼からはよく晴れた中、米原、彦根と進み、新幹線の線路のすぐ隣を歩く場所があったり道端に咲く小さな花が美しい場所があったりと景色は歩みを進める中でさまざまに変化していきます。18時に本日の宿泊会所、中山道の宿場町・愛知郡の寳満寺さまに到着しました。

本日の出発前、寳満寺さまでは門徒さんたちと集合写真を撮影。笑顔の中、和やかに一日がスタートしました。朝の法話では太田随行教導から御影道中で有名な「蓮如病」についての解説がありました。概要は次のとおりです。

  1. 発症時期
    感染から3日以内に発症。発症後6日過ぎたら手の施ようが無くなる。
  2. 症状
    歩き出したら止まらない。その他合併症。
  3. 感染源
    御影・ロープ。人から人への感染も確認されている。
  4. 治療法
    無し。
  5. 注意事項
    かかったら、ジタバタせずに受け入れて、残りの人生を楽しむしかない。病(やまい)の行き着く先は「真宗再興」。

19時15分、本日の宿泊会所の傳久寺さま(滋賀県草津市)に到着しました。終日快晴で強い日差しで暑い中、長い距離でしたが各会所での手厚いおもてなしに感謝しながらの歩みでした。

道中は老いも若きも出身や職業関係なく、歩く、蓮如上人にお供するところで一緒な地平で出会い語り合える場でもあります。

今年の御影道中も残す所あと一日。明日は傳久寺さまを出発し、大津市、逢坂の関、東山を越えていよいよ東本願寺に到着です。

ご門徒さんやご住職の心のこもった手作りの朝食をいただいた後、6時45分、傳久寺さまを出発しました。

御影道中一行は無事京都入り。途中、大津別院では合唱団の歌でお出迎えしていただきました。ここから真宗大谷派(東本願寺)の新入職員も綱に加わり、逢坂の関を「よいしょ、よいしょ」のかけ声とともに越えました。

15時40分頃、大雨の中、蓮如上人一行は東本願寺に到着。東本願寺では記念撮影後、阿弥陀堂にて16時半頃から御帰山式が行われました。

御下向、御上洛で使用された御輿車は供奉人の手で清掃され、また来年に備えます。
本年もお疲れ様でした。

《御影道中「御上洛」を終えての感想》

昨年の御下向に引き続き今年は御上洛の全行程に参加しました。御影道中は老若男女や肩書きなど関係なく、蓮如上人と歩くということ一つを通して、いろんな背景をもった人たちが、一緒な地平で出あえる仏事です。同じ道を歩いていても感じることは人それぞれで、会所での法話で感動したことも含め、歩きながら話し合うことの尊さを思い出します。

福井で一日飛び入り参加した男性で、小学生の時に一緒に参加した祖母が亡くなり三十五年ぶりに歩いたという方がその後、滋賀に入ってからも姿を見せてくれたことにも感動しました。太田随行教導が今回の道中で度々仰っていた「御影の教化力」を目の当たりにしたようでした。

今年は吉崎別院の公式インスタグラムに一日複数回、道中の様子を発信しながら歩かせていただきました。景色や気温、天候など、歩みを進めるにつれて移ろいゆくものを、福井から京都まで全身で感じることの贅沢さに気付かされます。その一端をSNSから感じ、そして見た人が少しでも参加してみたいと感じてもらえたらこれ以上嬉しいことはありません。

-蓮如上人御影道中協力会機関紙『蓮響十方』より-

(企画調整局主事・真宗教化センター寺院活性化支援室寺院活性化支援員 牧野尚史)