「蓮如上人、よう来てくださった」
「蓮如上人、よう来てくださった」と涙ながらに手を合わせるご門徒。
550年前、蓮如上人が訪れたとされる井波の地。
このたび、550年ぶりに蓮如上人を「御影様(ごえいさま)」としてお迎えし、勤まった3日間の井波別院瑞泉寺(いなみべついん ずいせんじ)の報恩講(ほうおんこう)も御満座(ごまんざ)を迎えました。吉崎別院(福井県あわら市)からお迎えし、報恩講を共にお勤めした御影は、能登半島地震における本堂倒壊を逃れて伝えられた奥能登・珠洲に伝わるご寿像(じゅぞう/生前に書かれた蓮如上人のお姿)です。
御満座を終え、輪番(りんばん)の手によって御影は巻き納められ、静かにお櫃(ひつ)に移されました。本堂出立時には、東本願寺の再建事業と深い関わりのある井波彫刻師をはじめ、南砺市長、富山県議会議長に担がれ、「蓮如上人さまのお通~り」の触れ声(ふれごえ)に先導されながら、瑞泉寺の参道にあたる八日町通りをゆっくりと進まれました。
山門をくぐる蓮如上人をお見送りしながら、口々に名残惜しさを語り、冒頭のご門徒のように、550年ぶりにご逗留いただいたことへの感謝の言葉と共に手を合わせる井波のご門徒の姿が印象的でした。こうしてこの地に500年以上の時を経て、蓮如上人も説かれた浄土真宗の教えが、この度の蓮如上人の御影の御下向を介して再びつながり、確かにまた伝わっていくのでしょう。
蓮如上人を慕う北陸の門徒
蓮如上人を慕い、伝えられた真宗の教えに生きる門徒さんが手を合わせるその後ろ姿は、加賀の一向一揆に向かう時代背景の中、戦乱の加賀から逃れ砺波平野(となみへいや)に渡った数多くの民衆が、550年前に井波を去る蓮如上人を見送った姿と重なるようで、歴史を貫く蓮如上人の教化力に改めて感動するひと時でした。
そして、蓮如上人の御影を納めたお櫃は、御輿車(おこしぐるま)に移され、いよいよ井波の町を出立されます。ここからは、全国各地から集まった供奉人(ぐぶにん)さんや、一般参加の方が綱に連なり、約10キロ先の城端別院善徳寺に向かいます。
長かった夏を経て、北陸にもようやく吹いた心地よい秋風を感じながら歩みを進める砺波平野のその先には、蓮如上人を慕い、遠く五箇山から瑞泉寺に馳せ参じた赤尾の道宗が歩いたとされる「道宗道」(どうしゅうみち)も尾根伝いにみえます。まさに、蓮如上人を介して、歴史と対話するような時間です。
道中では、お賽銭やおそなえの花を手に、道中一行を待ち受ける地域の方々の姿もあちらこちらで見られました。手を合わせるその姿から、かつて柳宗悦(やなぎ むねよし)によって「土徳」(どとく)と表現され、この地に脈々と伝わる、生活の中での深い信仰の世界をあらためて感じさせられるようでした。
浄土真宗と民藝が交わった城端別院善徳寺に御着き
日も暮れかかった頃、柳宗悦がその場所で『美の法門』を著し、浄土真宗の土徳の世界と「民藝」(みんげい)が交わった城端別院善徳寺(じょうはなべついん ぜんとくじ)に一行は到着。城端の多くのご門徒や、蓮如上人が城端の地を訪れて布教する模様を物語にした「蓮如太鼓」の演奏に迎えられました。
その後、御影を納めたお櫃は本堂に移され、お勤め、続いて絵解きによる法話が勤まりました。
一行はその後、4泊5日の行程で、越中、加賀の蓮如上人ゆかりの寺々などに立ち寄りながら、一路、蓮如上人の北陸布教の拠点・吉崎別院に向かいました。
| このたびの「蓮如上人井波御下向550周年記念御影道中」([主催]井波御下向道中講)は、1475年に蓮如上人が吉崎御坊より井波瑞泉寺へ御下向されて550年を記念して行われたものです。2025年9月27日に吉崎別院を出発し、4泊5日の旅を経て10月1日に井波別院瑞泉寺に到着。井波別院での報恩講が勤まり、帰路は10月3日に井波を出発、10月7日の吉崎別院到着まで、徒歩による(一部行程は車両利用)道中となりました。 このレポートは、2025年10月3日の井波別院瑞泉寺から城端別院善徳寺までを、企画調整局の職員が同行取材したものです。 なお、吉崎別院の行事として、350年以上の歴史を重ねる「蓮如上人御影道中」(京都・東本願寺⇔福井県あわら市・吉崎別院)は、下記の日程で毎年行われています。 御下向(京都→吉崎) 4月17日~4月23日 ※4月23日~5月2日は、吉崎別院において「蓮如上人御忌法要(れんにょしょうにん ぎょきほうよう)」が勤まります。 御上洛(吉崎→京都) 5月2日~5月9日 ※一般参加もできます。詳しくは、こちら をご覧ください。 |







































