教学研究所
所長

宮下晴輝
Miyashita Seiki

生死いづべき道

『歎異抄』第十二条に「われもひとも、生死をはなれんことこそ、諸仏の御本意にておわしませば」(『真宗聖典』六三二頁)とある。諸仏の教えは生死を離れることにある。したがってまた『恵信尼消息』(第三通)は、法然上人が「生死いづべき道」をただ一筋にお説きになるのを聞いて、親鸞聖人は、これと受けさだめられたのだと伝えている(『真宗聖典』六一六~六一七頁)。

では「生死」と語られてきたそれは何か。人間のいかなる事態を語るのか。〝阿含経の釈尊〟を発見したいわゆる近代仏教学の知見では、〝輪回サンサーラ(saṃsāra)〟を生死と漢訳したのだと言う。だから近代仏教学は、生死という言葉で仏道の課題を語らない。素朴な直訳的学問では、仏道の課題を〝輪回〟を超えることだと言うだろう。それで何が語られたことになるのか。

〝輪回〟という言葉は、仏陀釈尊を典型とする沙門の時代に用いられ出した術語であるから、それ以前の用例にもどってもあまり意味がない。「漂流する」という語感をもった言葉である。それにどんな意味が充填されていったのか。釈尊と同時代の六師外道の一人・懐疑論者サンジャヤは、〝輪回〟の意味を「あの世はあるのかないのか」という問いのもとに解体し懐疑の中に投げ込んでしまった。だから、〝輪回〟という言葉から、それが求道にとってどれほど緊急な問題であったのかが見えてこない。

これは、近代仏教学の徒であることを自認する私自身へのアイロニックな批判でもある。これと正反対に、現代において親鸞聖人の言葉を生きた人が語る言葉にはリアリティーがある。「生死を出離するということは、仏道の根本動機である。したがって、生を欲し死を憎む「生死」という凡夫のあり方を超えて、生死を離れようとするとき、初めて我われは仏道の門に入るのである」(「差別・罪・転成─「真宗解放論」への覚書き(二)」『児玉暁洋選集』第四巻二六一頁)と。このような師の言葉を憶念しつつ、それでも臆することなく、近代仏教学の徒をつづけるとしよう。

確かに「生死」は〝輪回〟の漢訳語として用いられてきた。世親の『倶舎論』の冒頭の偈頌を素朴に直訳すれば「輪回の泥沼から人びとを救い出した」という句があり、それを真諦しんだい玄奘げんじょうも「生死泥」と訳している。では、いつからそんな漢訳が当てられたのか。

安世高あんせいこう支婁迦讖しるかせんの訳(二世紀後半)にすでに「生死」が用いられている。漢訳の最初からのようである。特徴的なのは、五蘊(色受想行識)のなかの「諸行」が生死と訳され「色・痛痒・思想・生死・識」とある。これは竺法護じくほうごの訳(三世紀後半から四世紀初頭)まで続いている。この場合の生死は諸行(saṃskārāḥ 形成されたもの)の訳である。

支婁迦讖の代表的な漢訳は『道行般若経』であるが、そこでは〝輪回〟もまた生死と訳されていることが確認できる。安世高の場合はほとんど原典に当たれないが、「尽生死原、梵行已立(生死の原を尽くし、梵行がすでに立った)」(『大正新脩大蔵経』二巻八七五頁上)は「すでに生が尽きた」に相当するから誕生(jāti)の訳であろう。「済生死淵(生死の淵より済くわん)」(同二巻八七五頁上)、「超出生死(生死を超出せん)」(同十四巻七五三頁下)、「免於生死(生死より免れん)」(同十四巻七七四頁上)などは、〝輪回〟の訳かと思われる。

 ただ安世高の『尸迦羅越六方礼しからおつろっぽうらい経』に「令我得仏時願使如法王、過度諸生死無不解脱者」(同一巻二五二頁上)という詩句が見られる。この経典自体はパーリ語の『シンガーラへの教誡』(長部三一)に相当するものであるが、安世高訳には「六度」(六波羅蜜)やその一々が見られ、伝統的な阿含経の内容にとどまるものではない。しかもいま挙げた語句は『無量清浄平等覚経』の嘆仏偈の一節の字句とほぼ一致し(『真宗聖教全書』一巻七六頁)、菩薩の願作仏度衆生の誓願を表わすものである。

幸い無量寿経類には異訳があるので、ここでの生死に相当する訳を較べてみる。「過度於生死無不解脱者(生死より過度して解脱せざるものなからしむ)」(平等覚経)、「過度生死靡不解脱(生死を過度して解脱せざることなからしむ)」(無量寿経)、「能救一切諸世間生老病死衆苦悩(よく一切諸世間の生老病死と衆の苦悩を救わん)」(如来会)、「度脱老死令安隠(老死を度脱して安隠ならしめん)」(荘厳経)、「人々を老死(jarā-maraṇa)から解脱させます」(Sukhāvatīvyūha)。

ここは詩頌の部分であるので、おそらく原典テキストの上で大きな変更はなかったと考えられ、『無量寿荘厳経』や現存サンスクリット写本のように、原典テキストは「老死」とあったと思われる。それが「生死」「生老病死衆苦悩」「老死」と訳されているのである。

安世高や支婁迦讖には見られなかったが、支謙しけん(三世紀前半)以降の漢訳には「流転」「輪転」「輪回」の語が見られ、しかもほとんど生死の語と一緒に「生死流転」「流転生死」などと漢訳されている。つまり、はじめは〝輪回〟の語を生死とだけ訳してきたが、後にはそのまま生死とだけ訳しもするが、流転などの語をも付加して訳すようになったのである。だから原典の〝輪回〟の語が「流転」などとだけ訳されることはなかったといえる。

生死という漢訳は、諸行に対して用いられていた。それは我々が依りどころにし信頼しているものであり無常なるもの一切のことである。だから、この生死は、無常なる世間を表わすといえよう。また〝輪回〟に対して生死としたのは、漂流して目的を見失っている我々の生の在り方をいうのであろう。

では老死についてはどうか。阿含経において、老死は縁起の観察の最初の問いとして繰り返し説かれてきた。「何に縁って老死があるか」と。その老死は老病死苦を意味している。そして「生に縁って老死がある」と観察された。それが最初の教説で「生老病死苦」と説かれた。だから『無量寿如来会』において、そのテキストにあった「老死」が「生老病死衆苦悩」と漢訳されている。

したがって生死の訳は、生死勤苦(支婁迦讖などの訳例)ともあり、生老病死苦を表わすといえよう。そうであれば、「生死をいづる」とは、老病死の苦からの解脱を求めた〝阿含経の釈尊〟の仏道の根本動機にほかならない。

『歎異抄』第一条には「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさん」(『真宗聖典』六二六頁)とある。この条に照応する第十一条には「弥陀の大悲大願の不思議にたすけられまいらせて、生死をいづべしと信じて、念仏のもうさるるも」(同六三〇~六三一頁)とある。

往生をとぐることと生死をいづることとが、同じ念仏の中で、一つの意味をもって語られている。生死をいづる道は、往生の道である。ここにも、〝阿含経の釈尊〟と〝無量寿経の釈尊〟の仏道が、一つに交り得ることが見られる。なるほど「十方無碍人、一道より生死を出でたまえり」(『教行信証』行巻、同一九四頁。六十巻華厳経、『大正新脩大蔵経』九巻四二九頁中)と説かれるわけである。

([教研だより(210)]『真宗』2024年1月号より)

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