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2017年 蓮如上人御影道中

御影道中を歩むにあたって(随行教導、宰領、供奉人の声)

4月23日に吉崎御坊に到着した御影道中の一行。それから毎日の蓮如上人御忌法要が勤められ、5月2日、京都に向けて吉崎を出発する御影道中御上洛の歩みが始まりました。吉崎御坊から蓮如上人をお連れする人々の声をご紹介します!


 ■御 上 洛 (2017年5月2日から5月9日

 

御上洛・随行教導の相馬豊さん

蓮如上人 御影道中
随行教導・相馬 豊さん(金沢教区第4組道因寺住職)

蓮如上人、細々御兄弟衆等に、御足を御みせ候う。御わらじの緒、くい入り、きらりと御入り候う。

蓮如上人御一代聞書

 御影道中は、ただ歩くのではなく、両足を使って歩き、在々所々、街の人の生活の音を聞き、においを嗅ぎ、町全体のいぶきを身体全体で感じることです。
普段、私達の生活は頭だけで思考し、頭だけでものごとを決定しています。それは大きな間違いではないでしょうか。
歩く事で、日頃忘れたり、見落としていたこと「人間とは」「生きるとは」「何故歩くのか」というという問いに、立ち止まり、振り返り聞き取ることではないでしょうか。
それはまた、今は亡き先人たちが、私たちに「人間として生きる」確かな「道標」を伝えてくれる証です。一緒に問いを確かめる歩きをいたしましょう。


 

御上洛・宰領の清水教示さん

仏事としての御影道中
宰領・清水教示さん(石川県小松市)

第344回の蓮如上人御影道中御上洛の宰領のご縁をいただき、この大役を無事果たせるか、日に日に不安が増すばかりです。しかし、今年の御上洛の供奉人様は、立派な方達で、この人たちのお力添えで、なんとか役目が果たせそうな気持ちになってきました。
毎年、お立ち寄り所のお寺様、会所の皆様、御門徒の皆様方には、大変お世話になりました。今年もご支援・ご協力の程よろしくお願い申し上げます。
蓮如上人様が、御文の中で、申されておられます「弥陀の本願を信じ、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり」と、そこで、五月二日吉崎を出発し、九日真宗本廟に到着するまで、念仏を絶やさず御影道中が念仏道中となるよう、随行教導様、供奉人様・一般参加者の皆様・会所・お寺においでのご門徒の皆様方・御影が通る道端で合掌しながら蓮如上人様をお迎えくださる御門徒の皆様方と念仏を通して、仏事としての御影道中になればと思っています。なにはともあれ、安全第一に真宗本廟に無事御帰山できますように、この道中に参加される方々と力を合わせて参りたいと思っております。
皆様のご支援・ご協力をどうか私たちにお与えくださいますようお願い申し上げます。   合掌


 

御上洛・供奉人の副島幸子さん

名とともに
供奉人・副島幸子(釈永遥)さん(滋賀県高島市)

春の訪れを目の前に、胸の高鳴りをおさえることが出来ません。
人間同士の生きざまが凝縮されたような旅路が道中です。念仏の道と言われるその道程の落涙は温かなものばかりでなく、足のすくむことも度々です。しかしそれでも私を歩め、と、見ろ、と促すものがあり今日まで来たように思います。
この春、帰敬式を受け法名をいただくことになりました。真宗に出遇って七年、この命をうけて三十五年。それは、長い、ながい、旅路でした。ようやくこの道を選んだのも私を叱り、私を疑わず、手を添えてくれた同行方が居たから、もとよりこの御影道中があったからこそ、弱虫の私が今こうして名とあうことが出来ました。新たな名との対面は何だか気恥ずかしくてくすぐったい思いがしたけれど、湧き出る涙の中でこの長かった道程の理由が少し、解けたような気がしました。
歩め、見ろ、との促しは、この一歩一歩は道中を通して蓮如上人が私に語りかけられている法語であると頂いています。傷つけ合い支え合い、心身ボロボロになって聖人のおられる御本山の前に放り出されます。蓮如上人はそうなるべく仕向けられているかもしれません。だからこそこの一歩一歩に耳を傾け出遇い行く人達との歩みを重ね合いながら御本山へと帰るしかないのだと思います。これが名に示された私の生き方なのだろうと思います。
今後も多くの幸いなる仏弟子が生まれ育まれて行く道中であるように。       南無阿弥陀仏


 

御上洛・供奉人の鷲元明俊さん

道中で学ばせていただいたこと
供奉人・鷲元明俊さん(茨城県那珂市)

昨年の五月二日から九日までの八日間、蓮如上人御影道中の御上洛に自主参加させていただきました。御影道中では途中七十カ所の会所に立ち寄り、ご法話を聞かせて頂きました。随行教導の相馬豊先生はこのような話を道中でお話して下さいました。
【前回、この道中に参加され全行程を歩き通された方の中に二人の女性の方がおられました。その一人の方が歩き終わられた時、私にこのように話しかけられました。「先生、私実をいうと、もう人間関係につかれて、この道中を歩いている途中に、車に飛び込んで死んでしまおうと思って参加したんです。でも、立ち寄る会所、会所でお経を読み、先生の法話を聞かせて頂いて、今まで悪いのは相手の方だと、人を責めたり恨んだりしていた自分が本当に一番悪いものだと気づきました。
そしてこんな私に会所で待っておられる方々は『ご苦労様です。お茶をどうぞ』と親切に冷たいお茶やジュース、お菓子などを進めて下さるのです。なんと尊い行事に参加させていただいているんだろうかと思わず頭が下がりました。一回しか生きられない私の人生です。もっと自分を大事にして今度は私が出遇う方々にこちらから親切に対応していきたいと思います。危うく大変なことをしてしまうところでした。本当にこの道中に参加して蓮如上人に救っていただきました。有り難うございます」と仰っていました。人間というものは自分の思いに惑わされるものです。その思いを破って下さる働きが蓮如上人のおすすめ下さるお念仏です。どうぞ皆様、お念仏申させていただきましょう。】
と言うお話が印象に残っています。また、この道中に八十七歳になる後藤金三郎さんが参加されました。金三郎さんは「私はこの道中に参加させて頂けるのが嬉しいです。家族に心配かけるかもしれないが、わがままを言って参加しているのです。この尊い行事を後の人の代まで続けていって欲しいと言う思いで一杯です。」と言って参加されている方々に親切に声をかけ、笑顔でお念仏の心を分かり易く話して下さっていたのが印象的でした。
便利で快適さを求める現代社会の中にあって真逆の効果的ではなく、歩いて御輿を運ぶというこの重労働の行事が持っている意味は先人のご苦労を追体験する事、多くの方々が参加されることによって全員でもって一つの行事を達成していくという一体感を味わえると言うことではないかと思います。
今年は供奉人として御上洛にお供させて頂きたく、ご教導の程宜しくお願い致します。    合掌


御影道中 ルートマップ【2017年御上洛】

吉崎御坊-真宗本廟の間には、たくさんの会所があり、御影道中の一行は蓮如上人の御影と共に1つ1つ立ち寄ります。それぞれの会所に寄るごとに、出会いと歴史を感じることができます。

『蓮響十方』(蓮如上人御影道中協力会)より