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第5回「東本願寺しゃべり場」
開催日:2005年9月21日(水)午後7時~午後8時30分 開催場所:東本願寺総会所
お話:秋吉正道さん
「場」とは、温もりをもって受け入れられるかどうかで「場」の性質が変わります。釈尊(おしゃかさま)は「地獄・餓鬼・畜生(私たちの自己中心の降るまいの世界)」の満ち溢れた現実世界に真向かいになられました。 やりきれない思いをもちながらも、人々に優しい心をもって接していかれました。それこそが、釈尊の立たれた「場」であると同時に「浄土」という言葉をもって、秋吉さんは示してくださいました。ひきつづいて行われた語り合い(座談)
自分が本当に求める場とはどんなものかを皆が考えました。「ただ快楽の場ではない事はわかっていても、やはり快楽である場を求めてしまう。」や「自分の場というものは、ある一定の固定された場所をさすのではないのではないか。」と様々な意見が出されました。 また、「自分と向き合う場が自分の場であり・・・」と話す人がいたように、場とは自分次第によっては変わるものであるかもしれないし、自分でつくりあげていくものなのかもしれません。そうです「現在ただいま」私がここに居るそのことが事実なのですから。
第4回「東本願寺しゃべり場」
開催日:2005年8月17日(水)午後7時~午後8時30分 開催場所:東本願寺総会所
お話:秋吉正道さん
「大地・大空・水」というお話をされました。秋吉さんは大地・大空・水のつながりをもって私たち一人一人のつながり、「共有」ということを示してくれました。大空は全てを取り囲んでいる網のようなものであり、私たちはその中で大きな自然と共にあるのだと。
ひきつづいて行われた語り合い(座談)
座談では、「大地・大空・水」ということについて秋吉さんが、何を伝えようとされたのか話し合われました。「私たちは一人一人が川のようなものであり、色んな川があるけれど、海に入れば一緒になる。」と話す参加者がいました。私たちはなかなかつながれない個人個人だけれども、求めるものは一緒なのではないでしょうか。
第3回「東本願寺しゃべり場」
開催日:2005年7月20日(水)午後7時~午後8時30分 開催場所:東本願寺総会所
お話:秋吉正道さん
前回の第2回しゃべり場の問題をうけ、今回も自身の存在が大きな課題として法話をされました。人と人との関係において、私が他者と共に生きる場と「浄土」という関係性を話されました。この場で私が苦しんでいることは他者のせいなのだろうか。少し視点を変えてみるとどうでしょうか。今、私が苦しんでいる苦しみは自分自身の内からおこっているものでもあるのです。ひきつづいて行われた語り合い(座談)
法話を受け多くの人が、人との関係において大きな問題を抱えていると話されました。家庭のこと、学校のこと、職場のことと。私たちはその場その場で調子を合わせ難なく過ごそうとしますが、現実は違います。その場が嫌で逃げてはみても、そう都合のよい場所は現れません。繰り返し繰り返す、そんな時に自分自身に視点を向け生活することが「本当の場」となっていくのでしょう。
第2回「東本願寺しゃべり場」
開催日:2005年6月15日(水)午後7時~午後8時30分 開催場所:東本願寺総会所
お話:秋吉正道さん
社会の中に私の存在はどう位置付けられるのでしょうか。その中で私たちは自分を中心とし物事を考えて、生きているのではないでしょうか。そんな私に気づきを与えてくれるものが光であり、その光に遇うことによって自らの闇を照らすのです。私たちの価値観は普段、学歴、財力、権力であったりするものを頼りとしてしまいます。しかし、人間の現実にあるものは生、老、病、死です。人はそれに気づき問うた時、自らの存在について考えることができるのではないでしょうかひきつづいて行われた語り合い(座談)
秋吉さんの法話から、自分の存在を考えながらの座談内容となりました。「どれだけ考えても自分中心の生活になっている」という意見を受け、「その気づきが大切なのかな・・・」という意見もだされました。自分中心である我が身ではあるが、それでも他人に対し思いやる心もおこるそれはなんなのでしょうか。
第1回「東本願寺しゃべり場」
開催日:2005年5月18日(水)午後7時~午後8時30分 開催場所:東本願寺総会所
お話:秋吉正道さん
「東本願寺しゃべり場」がついに始まりました。この「東本願寺しゃべり場」はどう展開していくのでしょうか。第1回目では秋吉さんは現代を問いつつ、その中で生きる一人一人の問題を考え、「自分の居場所を問いつづけることが生きるということではないか。」とお話になられました。ひきつづいて行われた語り合い(座談)
参加者の一人は「生きること、死ぬということを見つめるようになった。当たり前のことが、当たり前ではなく、縁のあることと気づかされる・・・」と話してくれました。自身の生活そのものを挙げ、話す参加者がおり、窮屈な現代で多くの人たちが語り合う場を求めていることが実感されました。