活動報告

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活動内容

第43回「東本願寺しゃべり場」
開催日:2008年11月11日(火)午後7時~午後8時30分  開催場所:東本願寺総会所

お話:加藤久晴さん(名古屋教区)

 こんばんは。私は愛知県の知多半島の付け根にあります東海市で、圓福寺というお寺を預からせていただいております。現在45歳ですけれども28歳で住職になりました。私が19歳の時に父が亡くなって兄がお寺をやっていたのですが、その兄も交通事故で突然死んでしまいました。お寺に生まれてお寺に育っていましたけど、兄貴がいましたから私はお坊さんをやるつもりじゃなかったんです。
 もっとはっきりいえば、お寺大嫌いだったんです。とはいっても周りの事情が許してくれませんから「どうせ坊主になるんなら、金儲けしたろう」と思ってました。そんな思いで名古屋の同朋大学に行きました。
 学校は本当に色々なことを教えてくれます。仏教の話はもちろんなんですけれども、大谷派というのは社会問題みたいなものにけっこう触れるんですね。特に大事にされていたのが部落差別問題、当時は同和問題と言っていました。それから靖国神社の問題、そういったものを取り上げました。
 もっとも私は、そういったことはどう考えても仏教と結び付かないイメージがあって反発していました。
 そんな中で、教師修練という本山での研修を受けたんです。僕は「こんな同和問題やら靖国問題やらと社会問題やったって、門徒さん離れてまうよ。それより、もっと有難い話をして、悩みの相談を受けたりする方がよっぽどええと違うんですか?」って班の担当者に向かって言いました。すると、担当者から「あなた、同和問題や靖国問題の話をちゃんとしないから檀家さんに信用されんのですよ」と言い当てられました。いや、びっくりしました。「本当のこと言わんような坊さんの話なんか何にも信じませんよ」「坊さんが本当のこと言わんかったら誰も檀家の人は信用なんかしてくれません」そういう風にバッサリ斬られたのです。
 それから、悶々とした日が続いて、でもとりあえず学校も卒業して教師資格も取ってお坊さんになりましたけど、大谷派に関わるようになって今まで知らなかった社会の問題に出会うことができました。今からすれば非常に有難かったことだなぁ、と思うわけです。
 お寺しか知らない、社会を知らない、狭い世界に閉じこもってしまうと本来見えるものが全然見えなくなってしまいます。そして、今の社会全体の中で私たちが思い込みみたいなことをどんどん刷り込まれていくようにも思います。その思い込みを破っていくのは、僕の中では「人と出会っていく」ということ意外にないだろうと思います。人と出会うということが、自分をもう一回見つめさせてくれる、出会うことによって自分が見えてくる、そういうことが大事な問題だと思うんです。だから被差別部落の問題にしても靖国問題にしても、それから在日の問題、ハンセン病の問題、そういったものも実際に出会っていくということで自分が気付かされていくということがあります。だから出会うって大事だなぁ、と思うんです。

 さらに加藤さんは、ハンセン病元患者の方が被害にあわれたホテル宿泊拒否事件の時に療養所に届いた「ハンセン病にかかったことは同情しますよ、だけど頭を持ち上げるな」などの手紙を紹介されたり、ご自身がハンセン病患者の方と実際に出会って感じられたことなどから、出会いの大切さを展開されていきました。
第42回「東本願寺しゃべり場」
開催日:2008年10月14日(火)午後7時~午後8時30分  開催場所:東本願寺総会所

お話:白川良行さん(東京教区)

今回は、飛び込みで参加された坊守さんからの感想メールをご紹介します。

担当Sさま
おはようございます。 昨夜は、有り難うございました。
 どんな感じのしゃべり場なのか?
好奇心一杯で参加したしゃべり場でした。
 そんな気持ちで参加させて頂きましたのにお喋りが過ぎました。
佐野さんも白川さんも困惑されたのではないでしょうか!
お許し下さいね。
 でもそのお陰でどんな参加の仕方がいいのかホンの少し掴めたような気がしています。
 総会所を出たところで、「就職試験の朗報を祈っています」と言った時の青年の照れ笑いも、一緒にいた青年達の穏やかな笑顔も美しく嬉しいことでした。
 七条通りの交差点までお喋りしながら歩いた青年の顔からはどんどん緊張の色が取れ笑顔が増えていきました。11月の再会が楽しみです。

しなければならないこと!
できること!
したいこと!

この三つの間には上下も善悪もないような気がします。
 「したいこと」をしているうちに、「できること」が増えていきますし、「できること」が増えれば「しなければならないこと」が軽やかにできるようになれますものね。
59年も生きていると「機が熟す」ということはこういうことだったかと思うこと度々です。
 今、私は、ようやく私が私自身に期待していた「坊守像」に少し近付いてきたような気がします。
 その坊守像とは、仏法を使って出会いや関係性を豊かにできる人になることです。
 しかし、まだまだです。
まだまだだということは可能性が残っているということでもありますから有り難いことですね。
ということで、これからも「しゃべり場」に参加させて頂き勉強をさせて下さいね。
第41回「東本願寺しゃべり場」
開催日:2008年9月9日(火)午後7時~午後8時30分  開催場所:東本願寺総会所

お話:脇淵徹映さん(岐阜教区)

第41回「東本願寺しゃべり場」 の様子1  こんばんは。僕は幼稚園の園長をしておりますから、今日は子どものことについてしゃべろうと思います。
 昔は、どういう文章にも「子供」という漢字を使ってきました。しかし、今は「子ども」とか「こども」という表記に替えられてきています。「ども」という言葉があまりいい意味で使われてこなかったことから、子を蔑視しているのではないかと配慮しているのです。
 それでは、従来「こども」がどう扱われてきたかといいますと、例えば「こけし」に見ることができます。「こけし」というのは「子消し」→「こどもの間引き」ということに繋がっているといわれ、明治時代の初めごろまで東北や関東の東日本で多かったんだそうです。では、間引きがあった地域の人たちに罪悪感というかそういう気持ちがなかったか、というと当然そうではないわけです。
 「七つまでは神の子」という言葉がありました。食い扶持が増えるといって男の子が間引きされることが圧倒的に多かったようですが、お産婆さんが子どもをとりあげた時に「この子をお返しするか?」と親に聞くそうです。「神さま」へ返すという意味です。「人の子」ではありませんから「殺人罪」にはならないのです。「神にお返し」するという言葉を巧妙に使ってきたともいえるでしょう。
 では、西洋ではこどもをどう捉えているでしょうか?近代ヨーロッパの中ではこどもというのを「小さな大人」として見ていきます。しかしそれは「未完成なもの」という位置づけで、人格もなかなか認められません。よく、外国人が日本のレストランに入って、こども用の背の高くなった椅子を見て驚くんです。なぜなら、レストランは大人の文化であって、こども同伴で来ること自体がおかしいのに、わざわざこども用の椅子が用意されているなんてことはありえないというわけです。

 ここでいう外国というのはヨーロッパ・キリスト教文化の人たちのことです。ジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)は「子供の発見」ということを言いましたけれども、ヨーロッパ文化はまだこどもに対して未成熟なのではないかと、僕は思います。

ひきつづいて行われた語り合い(座談)

第41回「東本願寺しゃべり場」 の様子2 「自分にとっては意味があると思ってやってきたことが、他人から見たら無駄な時間に見えることがあって、そのギャップに納得がいかないことがある」
「人の言葉なんてどうでもいい、とか思いながら、でもやっぱり気になってしまう」
「自分のやってきたことに無駄な時間なんてない、そう自分が思っていなくちゃ。生きているということに無駄なんてことはないのだから・・・」
「今やっていることが、本当に将来に繋がっていくのか不安がある。」
「結果をすぐに求められ、それに応えられないと落こぼれというか負け犬みたいな感じがしてしまう」
 今回は、「昼間門の前にある看板を見て来ました」という方が参加してくれました。前回は「ホームページを見て初めてですが・・・」という方の参加もあり、数は多くはありませんが新たな出遇いがあることが大変嬉しく感じています。
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