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東京教区東京1組 西蓮寺
設置寺院 | 東京教区東京1組 西蓮寺 |
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所在地 | 東京都世田谷区 |
「真宗」掲載号 | 2009年3月号 |
青年会を主催しているのは、この寺の副住職の白山勝久さん。青年会を始めてから二年半たつが、当初は三人しか集まらないことが続き、もうだめかと思ったときもあったという。しかし、続けているうちに、寺のブログを見たことがきっかけで来てくれるようになった方もあり、だんだんとメンバーも増えて、現在では六人から八人の方々が集まり、毎月開かれている。
会をはじめたきっかけになったのは、他の寺の青年会に誘われ、参加するようになったことだという。その会では、「話を真剣に聞く」「論破しようとしない」という約束の下、お勤め、感話、当番による発題、座談会という内容で行われていたそうだ。「私は自己紹介が苦手で、我が強く、他者の話を聞くことが苦手です。そんな私が座談会の場にいられるのか不安でした。しかし、その会は、そのような私を根本からひっくり返してくれました。人は、それぞれ様々な体験をして生きています。その体験、経験を通して、みんなはそれぞれに考えを持っている。そして、自分が歩んできた道程を通して発言をする。そんな当たり前のことに気付かされ、同時に自分の考えの狭さを知らされました。“あぁ、そんな考え方があるんだ”と。他人の発言が、なぜか素直に私の中にしみこんできました」。
その後、白山さんが参加していた会の主催者の方が京都に移ることになり、その方が東京へ戻るまでの間、だれかに青年会を引き継いでほしいとの声を受け、「じゃあ、戻ってくるまで、うちでやります」と白山さんが引き受けたそうだ。以前から仏教青年会を立ち上げたいと思いつつ、一歩踏み出せないでいたところ、その呼びかけに、背中を押してもらったような形で、はじめることが出来た。「はじめようと思って、はじめられるものではないと思います。また、門徒さんを集めようと思って、はじめたわけでもないんです」。力を抜いてやっていることが継続している理由ではないかとのことだ。
この「白骨の会」は、これまで取材で訪問した仏教青年会と違う特徴がある。それは、奇数月はお寺の中で開き、偶数月は「町に出る会」と称して寺の外へ出て、お芝居や映画、美術館などに足を運んでいる点だ。寺で開かれるときは、会館のお内仏で正信偈のお勤めをし、その後、テーブルを囲んでフリートーク形式で座談が行われている。
会を始めた当初は、発題者を決め、それをもとに話し合ったり、輪読形式でも行ったが続かなかったという。それは、発題者に当たった人にとってはそれを考えることが宿題になり、負担になってしまう。また、輪読もテキストが少し難しかったのか、感想を言い合うまでに至らず、沈黙が続いたため三回でやめた。そこで、各々の近況報告や仕事のことなど、自由に話をしてもらったところ、いろいろな課題が出てきて話が盛り上がり、二~三時間があっというまに過ぎてしまったということだ。はじめは「発題も無しに話が進むのかという不安もありましたが、杞憂でした。参加してくださる方は、ここでなら話をしてもいいんだと思ってくださるのか、自分の思いを話してくださいます。ちゃんとひとの話に耳を傾けながら」。また、隔月で行っている「町に出る会」の観劇や映画鑑賞の感想などから話が深まっていく事が多いようだ。最近では、青年会のメンバーから「こういうところへ行ってみませんか?」と誘ってくれるようになり、個人的趣味を破ってもらえ、これからの展開が楽しみと語ってくれた。
会のメンバーのひとりに参加しての感想を伺ったところ、その方は、もともと寺で月一回開かれている聞法会に参加していたのだが、聞法会だけでは物足りなくなりこの会に参加するようになったという。法話を聞かせてもらう聞法会とスタイルが全く違う「白骨の会」を楽しみにしているそうだ。また、始まって二~三時間後、話し合いに区切りが付いた頃にビールなどが出てくると、どんどん皆さんの本音が出てくるので、とてもおもしろい、と語ってくれた。
我々は「白骨の会」に取材として参加していたはずが、気が付くとメンバーの一員のようになって話しに加わっていた。副住職さんが語ってくれたように、この会には「ここでなら話をしてもいいんだ」という雰囲気、そして「ひとの話に耳を傾ける」という空気が浸透しているからなのだろう。我々も取材を忘れて懇親会まで参加させていただいたが、そこでも当日の話の中心になった「救われるとはどういうことか?」という問題を、ビールを差し交わしながら、それぞれの考えを語り、聞かせていただいた。
もともとの青年会の主催者が東京に戻るまでのつもりで始めた「白骨の会」であったが、結局、その方が戻って青年会を再開した今でも、西蓮寺の「白骨の会」として続いている。「私にとって、どちらの青年会も素の自分をさらけ出せる貴重な場です。この会では、立場としては主催者ですが、他人の話を聞けなかった私のために開かれた場なんだと思っています」。そう語ってくれた副住職さんの、その心が映し出されている暖かな青年会だった。