2.都会へ出た若者へ

海 法龍(東京教区)

友の怒り

 私の故郷は海と山に囲まれた半農半漁の寒村です。地元の小中学校で、一緒に過ごした同級生のほとんどが就職、学業で都会へ出て行きました。仲の良かったT君も高校を卒業後、大都市で就職。私も都市部の大学に進学しました。

 T君の家は私の実家の寺のご門徒です。お父さんもお母さんも熱心な聞法者でした。そういう縁もあって、高校2年の夏休みに、地元の教区の仏教青年会に一緒に参加しました。「人間として」というテーマで、水俣病、人間の平等性、私たちの生き方についての法話・座談がありました。水俣が地理的にも近いこともあって、お互い感じるものがあったのでしょう、帰りのバスの中でいつもとは違った真剣な話をしたことを覚えています。

 高校を卒業後、お互い見知らぬ土地で新しい生活が始まり、連絡を取り合う余裕もなく毎日を過ごしていました。そんな時、T君から連絡があって1年半ぶりに私の住む街で再会したのです。僕らは20歳になっていました。久し振りに会った彼は、少し疲れていて以前とは少し様子が違っていました。駅近くの居酒屋に入り、慣れない所でビールをちびりちびり呑みながら雑談していると、お酒の勢いもあったせいか、T君は突然、真剣な表情になって話し出したのです。

 「世の中って、こんなもんばい。大卒は、どんなバカでも大卒じゃぁけんな。俺ら高卒とは違う。で、ちゃんと出世していくと。この前、工場のラインがストップして、機械に問題があったばってん、俺らのせいにしよると。二千万円の損失ってばい。どうしてくれるんだって言って怒鳴らすと。大人は汚なかね、責任ばこっちに押し付けて。良かねぇ、学歴がある奴は……」と。

 T君の怒りでした。学歴社会の矛盾や理不尽さ、そして大人の汚さを就職して1年半の短い期間で、嫌というほど経験してきたのです。私への当て付けではなかったと思いますが、学生の自分を批判されているようで、辛い気持ちになっていました。そして「人間は平等なんかじゃなかな。そんなんは綺麗事ばい」と吐き捨てるように言ったのです。かつて一緒に仏青に参加した時、水俣病のことや人間の平等性、尊厳について話し合った仲でしたが、私は彼の怒りの前で言葉を失い、気まずい雰囲気になってしまいました。

「南無阿弥陀仏」って何か教えてくれ

 居酒屋を出ると秋風が吹いていました。T君は私の住んでいるアパートに泊まる予定でしたが、急遽仕事になって帰ることになっていました。駅まで送り、別れ際に「俺らを安く使いやがって、人の都合も聞きもしないでよ。勝手だよな。久し振りに会えたのに仕方なかばい。またな」と私に言いながら最終電車に乗り込み、僕らは手を振って別れました。私はT君を見送りながら「またな」と言えず、なぜか悲しくて涙が止まりませんでした。

 「都会へ出る」ということは、こういうことだったのです。この時代社会が、何を基準に成り立っているのか、僕らには残酷な現実でした。得体の知れない目に見えない大きな力で、彼も私も引き裂かれていくのです。そしてT君の怒りは世の中への怒りと同時に、自分も、そして僕らの故郷も、その世界に染まっていく予感と不安、その怒りだったのかもしれません。

 年月が経ち、あれから僕らは2、3度会ったっきりで、今では音信も途絶えています。私はもう一度、彼に会って語り合いたいことがあります。高校2年の、あの仏教青年会の帰りのバスの中で、「父ちゃんも母ちゃんも、いつも仏壇にお参りして、称えとった、“南無阿弥陀仏“って、ありぁなんじゃろな。なんかの呪文のごたるばってん、お前、寺ん息子じゃけん、知っとるじゃぁろ」というT君の問いかけに、私は答えることができませんでした。

「気づかない」ことほどおそろしい罪はない

 今なら「南無阿弥陀仏」は、君の父ちゃん母ちゃんが毎日お勤めしていた『正信偈』の「帰命無量寿如来 南無不可思議光」だと言うでしょう。量りしれない寿(いのち)は光、それは一人ひとりの存在の輝きであり、「いのちの尊厳」を表している言葉。そして僕らは自分の都合に合うものは受け入れ、合わないものは排除し、優劣や上下の比較を価値観の基準にして「いのちの尊厳」に背き、背いているということにも気づかずに生きているのだと。だから君を罵倒した上司にも、罵倒された君にも、辛い気持ちになった僕にも、すべての人に気づいて欲しいと呼びかけているのが「南無阿弥陀仏」なのだと。

 私とT君の学力はあまり変わりませんでした。家の事情で彼は工業高校へ、私は普通科の高校へ。小学校から友だちで、その頃と同じ気持ちで付き合っていたはずでした。でももしかすると、自分でも気づかないうちに、生活の環境や立場の違いを、いつの間にか比較していたのかもしれません。そのことを彼は感じ取っていたのかもしれません。気まずい雰囲気になったのは、私に原因があったかもしれないのです。「気づかない」ということほど、おそろしい罪はないのでしょう。それを根源的罪、「無明」と言います。親鸞聖人は「無明煩悩われらがみにみちみちて」(『真宗聖典』545頁)とおっしゃいます。まさに自分のことだったのです。

 仏青で2人が聞き話し合った水俣病のことも、平等、尊厳のことも、あの居酒屋でのことも、「南無阿弥陀仏」にすべてが通じていたのです。だから「南無阿弥陀仏」は決して呪文でも綺麗事でもないのです。そんなことをもう一度、T君と語り合いたいのです。

法話ブックの一覧に戻る PDF 印刷用PDFはこちら