14.「野球こそ、わが人生」というリアル

細川 宗徳(岐阜高山教区)

すべては、あの一球から

 一球が、時にその後の人生を変えてしまうことがあります。
グラウンドでのことではなく、私の場合はあくまで「場外」でのエピソード。ハンセン病の回復者からいただいたサインボールが、私を、そして私の家族を野球へと向かわせました。「筋書きのないドラマ」のはじまりです。
 プレゼントしてくれた彼は、現在80代の半ば。地元では強豪校の元球児。小柄ながらも強肩のキャッチャー、甲子園を目指していました。そのようななか、ハンセン病を患います。強制的に患者が隔離された時代。学業を続けるため向かった瀬戸内のハンセン病療養所に、硬式野球部はありませんでした。あこがれの地への夢は断たれました。それでも野球への想いは強く、療養所を離れて働きはじめても、球場へはよく足を運んだそうです。
 私はというと、サインボールに記された背番号1を球場で見せようと、子どもを連れて名古屋へ。それが縁で長男は野球をはじめました。後に、春のセンバツ大会に出場。彼もテレビで応援して下さいました。ベスト8に進み「甲子園の土」をお届けすることができました。

アウトは「殺」に

  野球のルーツは、アメリカのベースボール。明治期に日本へ伝わると、俳人・正岡子規も、この球技に夢中になりました。ベースボールを「野球」と翻訳したのは子規、という説があるとか。子規の本名は「升(のぼる)」です。「のぼる」が「野・ボール」に、そして「野・球」へ。真相はともかく、このセンスにもアメリカを感じませんか。
 ルールも訳されます。一度に二つのアウトをとるダブルプレイは「併殺」。ランナーが隙を突いて次の塁を狙うスチールは「盗塁」等。この日本語訳に注目したのは、ジャーナリスト、故・筑紫哲也さんです。「野球は日常やってはならないとされていることが凝縮されているゲームである。野球用語を思い浮かべれば、それは一目瞭然である。刺す、殺す、盗む、押し込む、死す、撃つ、…等々」【『文化を考える。』(日本経済新聞出版)】
記録・記憶に残る名選手は、表現こそ違えども、およそ次のような言葉を残しています。
 「野球こそ我が人生」云々。すべてを野球に捧げたとの意ですが、先の筑紫さんのコラムを頭において少しイジワルに深読みしますと「刺す、殺す、盗む、押し込む…こそ、我が人生」。野球選手に限った話ではありませんね。思い出す詩があります。

「いのち」も「ひと」も食べ続けて

 【「くらし」 石垣りん】
食わずには生きてゆけない/メシを/野菜を/肉を/空気を/光を/水を/親を/きょうだいを/師を/金もこころも/食わずには生きてこれなかった/ふくれた腹をかかえ/口をぬぐえば/台所に散らばっている/にんじんのしっぽ/鳥の骨/父のはらわた/四十の日暮れ/私の目にはじめてあふれる獣の涙

 いのちをつなぐためには、自分を守るためには食べ続けなくてはいけません。その実態とは「殺」。悲しいかな、否定しようとしても認めざるをえない人間の姿です。私にも身に覚えがあります。これまでに、どれだけの「いのち」と「ひと」を踏みつけてきたことか、そのことに痛みを覚えず生きてきたことか……。偽りのない「本当の私」が見えてきます。
家族で球場へ通ったのは、ひと昔も前のこと。また独り身になりました。野球にたとえれば、試合途中でのバッテリー解消。事実上のチーム解散です。夫婦が離れて暮らす決断をしたことで、子どもには悲しい思いをさせました。
 私と暮らす選択をしたものの、生活のリズムが乱れ、二男はやがて不登校に。ゲームを手放さない態度にイライラし、「刺」すような言葉を投げつけたこともありました。本心は母親と暮らしたかったのです。その気持ちを尊重することになりました。
 気丈にふるまっていた長女も、一緒に遠方へ転校することに。親しい友人ともお別れ。手紙を交換し、再会を約束し、ずいぶん泣いたようです。
 大人の事情を無理に「押し込む」ことで、子どものこころを「殺」してしまいました。同時に、大切な時間をも「盗」んでしまいました。もちろん元妻に対しても、です。
 入学や卒業、成人といった節目には立ち会えませんでした。それでも子どもとの関係は、下手なキャッチボールさながら、どうにか続いています。自戒を込めてのつもりはありませんが、部屋のカレンダーは、離れて暮らすことを選んだ2011年当時のままにしています。
 今シーズン、かつての背番号1が名古屋へ帰ってきました。その選手のサインボールをハンセン病回復者からいただいたこと、そこから細川家のドラマが始まったことは前述しました。当時は不動のレギュラーが、選手生命をかけてのチーム復帰。ここ一番、勝負時での代打として期待されているようです。
 「野球には代打が控えているけれども、人生に代打はいないぞ」「三割打っていた福留でも打席のうち七割は失敗。バツイチを気にしてどうする」。いちいち説教めいたことを言う私に、子どもたちは「お父さん、ウザい! そんなことだから、いつまで経っても新しい……」。まるで胸元をえぐるストレート、子どもの成長を感じます。

法話ブックの一覧に戻る PDF 印刷用PDFはこちら