16.「家族葬を考える」

竹中 慈祥(長浜教区)

■はじめに

 家族葬が増えていますね。このことについて、さまざまな意見をお持ちの方がいらっしゃいます。「人を呼ばなくて良いから楽だ」とか、逆に「知らないうちにお葬儀が終わっており寂しい」とか。そこで家族葬と従来型のお葬儀について考えてみたいと思います。

 そもそも家族葬とは「最近の風潮」なのでしょうか。以前、葬儀社の社長さんから「どちらかといえば家族葬のほうが一般的だったのです」と教えていただいたことがあります。かつて死者の見送りは家族が中心で、それをつとめるには人手が必要だったため、近所で助け合ってお葬儀を出しました。だからごく近しい身内だけで行われる家族葬こそがお葬儀の基本形だったというのです。

 いっぽう、現在一般的に行われている従来型のお葬儀は、お金もかかるし大変だという声があります。また次々とスケジュールが押し寄せて家族でゆっくりお別れできないとも言われます。さらに昨今は感染症対策という新たな事情もあります。だから家族葬の方がより選ばれやすいのでしょう。

■関係性の再確認

 従来型のお葬儀と家族葬の違いはいろいろありますが。ここでは集まる人数の違いに注目したいと思います。家族葬に比べ従来型のお葬儀は遠方から多くの人が集まりますから。そうした人が集まる場で起こりうる出来事として申し上げたいのが「関係性の再確認」です。仏教の眼差しでお葬儀を考えるとき、この「関係性」はとても大切な要素になります。

 関係性について申し上げます。もう20年以上前のことになりますが、私は「子が生まれて/親が生まれる/二人は同い年」という掲示板の言葉に出会いました。一見、違和感を感じましたが、考えてみればそのとおりです。通常なら「親から子どもが生まれる」と思いがちですが、実は親という呼び名は子どもが生まれたことで授かるもの。だから子どもが生まれて、親という存在が生まれたことになります。実はこれ、仏教のごく基本的な関係性の考え方なのです。

 さらにこれは滋賀県の湖北地方の珍しい方言ですが、赤ちゃんが生まれたことを「もらわぁった(貰った)」と言います。かつて先輩から、この言葉は父母が赤ちゃんの誕生を願うのみならず、周りの多くの人びとや、さらには赤ちゃんの「生まれたい」という不思議な力が合わさって、尊いいのちが生まれたという事実の表現だと教えてもらいました。通常なら「私が産んだ」という感覚なのでしょうが、それでは関係性のごく一部しか見えておらず、そもそもいのちの背景にあるのは目には見えない大きなはたらきであり、そこから「もらった(授かった)とは思えませんか」と方言は問いかけます。

■お葬儀は誰のため?

 さて、話はお葬儀に戻しますが、そもそもお葬儀とは誰のためにあるのでしょう。

 葬儀は故人が主役のように思われますが、浄土真宗の教えでは、故人はすでに阿弥陀様のお浄土に参られたと言います。今頃どこかで迷ってるんじゃないかとか、お浄土に行くために段階を踏んでいるのではないか、などと心配しなくてよい教えなのです。ですからお葬儀はむしろ、いまだ死別の悲しみの只中におられるご遺族こそが主役であるべきで、悲しみを参列のかたと分かち合う場がお葬儀だと思います。

 そうしたお弔いの場に故人を偲ぶ声が多く集まることには、とても大切な意味があります。「こういう人だった」「生前、こういうやりとりをした」などと、知らなかった故人の関係性を知ることができるからです。故人の別の側面を知ることが、すなわち「関係性の再確認」です。それは故人との新たな出会いなおしであり、死してなお、私に関係として在り続けてくれることを実感できる営みです。遺族からみれば、故人は「祖父・祖母、父・母・子…」いろんな姿をお持ちだったことでしょう。しかし故人にはさらに他者とも広く関係性を紡いでこられた歴史があるのです。たとえ家族でも、実は故人の一部しか知らないのかもしれません。

■故人の輪郭を丁寧に訪ねて

 従来型のお葬儀に比べ、家族葬は限られた少ない人数で故人にお別れをすることになります。それでは故人の紡いでこられた関係性、つまり故人が紡いでこられた断片を見えなくしてしまっているとは言えないでしょうか。お葬儀がただ単に故人を見送るだけの儀式とならず、故人の生きた証、さらにはそのいのちのつながりを遺族が確かめる場所だとすれば、多くの方と悲しみを共にすることはより豊かなことだと思います。

 家族葬と従来型のお葬儀と、形の上ではどちらがよいとは単純には申せません。現実的な事情がさまざまだからです。でもここまで考えてきたことを総合して、たとえばお通夜の席を工夫したり、時期をあらためてお別れ会を設けたりと、多くの方と弔うための場を作り上げることはあってもいいのかもしれません。故人の輪郭を丁寧に訪ねることは、故人を大切に受け止め直すのみならず、死別の悲しみを超えて遺された者に生きる力を与えてくれるからです。

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