20.「あ、私ってイヤなやつ」

藤場 有希(金沢教区)

■共感

 はじめに、このお話をいただいた時「2、3分でいいのでお電話できますか」とたずねられました。率直に言います。子育て主婦には2、3分でさえ自由になる時間はないのだ!とまでは言いませんが、それくらい頭の中は子どものことでいっぱいです。
 私には現在3歳の息子がいます。今はだいぶ楽になりましたが、もう少し小さい頃は何をするにもどこにいても、息子のことばかり考えていました。何を作れば食べてくれるか。明日はどこに連れて行こうか。空いた時間に携帯を見ても、気付いたら調べるのは子ども関連のことばかり。買い物に行っても自分の服は後回し。いつになったら自分のことができるのだろうかと考えていた頃、目に飛び込んできたのが先輩ママの「トイレで作る束の間の3分」というSNSの投稿です。ただの3分間のトイレの話ではありません。”トイレという個室を使い一人の時間を取ろうと思うが、それさえ容易ではない”というものでした。扉を閉めた途端に聞こえる泣き声、どこかへ走っていく足音、静かすぎて何かしているのでは、と用を足しながらも気が気じゃありません。
 そして、この投稿に多くのママ達が共感しているのを見て、悩んでいたのは私だけではなかったことを知らされました。私だけが要領が悪く、私だけが悩まされて、私だけが…私だけが…といつしか孤独を感じ思い悩んでいたのかも知れません。しかし、そうではないとわかった途端、何も解決したわけではないのに何故だかとても心が安らいだのです。

■お願いします、が難しい

 男性には理解しにくい話ですが、つわりのことをお話します。
 夫につわりの酷(ひど)さを伝える時に、私の場合はよく二日酔いの程度で表しました。ひどい二日酔いなのに辛い物を食べて後悔している時くらい、笑顔で仕事をしているけど本当は冷や汗が止まらない時くらい、などなど。本当にわかってもらえたかはわかりませんが、「あ〜」と返ってきたので少しは伝わったのではないかと思います。
 酷いつわりが長く続いたので、家事はほとんどできませんでした。食事が作れない時は夫に自分で作ってもらったり外食してもらったりと、からだに負担をかけないようにしていました。作りたい気持ちがあっても立ち上がれないのですから、申し訳ないけどなんとかしてくださいとお願いするしかなかったわけです。
 さて、つわりも終わり、元気になったらどうなるか。出来なかった料理を作るように…ならないんですね。つわりの間にやりたかったことを片っ端からやりはじめて、夕食の支度になる頃には大きなお腹に押しつぶされた脚がパンパンになり、台所に立つのが嫌になってくるんです。夫は頼めば料理を作ってくれるのですが、脚が辛くなるまで歩き回っていたことが負い目となり、頼めません。できないならできないと、つわりの時のように言えばいいことなのに、なぜか頼めません。それどころか、なんで私がご飯を作らなければいけないのかと腹が立ってくる始末。
 一体何が私を素直にさせないのでしょうか。それは、完璧なものとして見られたい、誰にも頼らずに何でもこなせる自分でありたいという欲でしょう。そしてもう一つ、仮に頼んだ時に嫌な顔をされるのを見たくないのでしょう。頭を下げて頼んでやってんのに何だよその態度は、と全く下がっていない自分の頭をさしおいて逆ギレ。でも本当は怒っているわけではありません。傷ついているんです。断られた時に傷つく自分が無意識に見えていているからこそ言えないのです。本当は毎日レシピ本に頼っているのに、そこは都合よく忘れて完璧主義者を装っている自分はなんてズルいんだろう。

■“同じ”を当たり前に求める心

 友人の誕生日パーティーをした時のことです。参加者のほとんどが、働いていない彼女が気を遣わない程度のものをあげた中、どう見ても高価なプレゼントを渡した人がいました。その人は誕生日を迎えた友人といつも一緒にいるので、それだけ気持ちが強かったのだろうと思っていたら、後で「自分の時にも同額の物が返ってくるのは当たり前だ」とまっすぐな目で言いました。ちょっと…それってどうなの?とその人の考え方に違和感を持ったのですが、よくよく考えると私も同じようなことをやっているかもしれません。「ごはん作ったんだからお皿洗ってほしい」。なんなら「洗い物が少ないから、洗濯物も畳んでくれたらなお良し」などと、自分と比べて相手はまだまだ何かやってくれてもいいはずだと、やってくれたことに感謝するどころか不満さえ持っているではないですか。これならばの彼女のようにわかりやすく”同額”を求める方がまだマシかもしれません。
 私は見返りを一切求めない、と言う人もいるかもしれません。でもどうでしょう。ありがとうの言葉だけでも求めてしまうことは、やはり見返りではないでしょうか。何も見返りを求めない人はいません。自分のためにならないことをする人もいません。相手の行為に不満を持った時は、自分が勝手に求めたものが得られなかった時です。そのことに普段から気付けたら、自分はなんてイヤなやつなんだと反省もできるのに、それができないから、さて困ったものです。
 忙しいから仏教の勉強なんてしている時間はないと言い訳をし、避けていましたが、机に向かっている時ではなく普段の生活に目を向けた時にこそ、教えの必要性を感じられるのではないでしょうか。

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