34.私のかえる(還る)ところ

法岡 敬人(能登教区)

■自分のルーツを求める一人の青年

 私はお寺に身を置きながら、40年近く児童福祉の仕事に携わってきました。ご縁があってそんな私のそばで、ひろしさん(仮名)は3歳の頃から高校を卒業するまでの間を生きてきました。運動神経が良く賢い子でした。中学校の頃に腕を骨折した時は、「俺は将来医者になる」という夢を持ちました。また中学から高校では野球部で頑張り「甲子園に出たい」と練習に励みました。しかし高校卒業後は大学進学をあきらめて就職し、やがて地元石川を離れて上京しその後いろいろな仕事をしてきました。結婚して親にもなりましたが、その家族とはずっと前から別々に暮らしています。40歳を過ぎた今、従業員を雇い小さなお店を経営しています。新型コロナウイルス感染症の影響で先の見通せない中でも、とにかく一日一日と頑張っているようです。

 そんなひろしさんですが、実は血のつながったご両親のことは全く記憶になく、わからないまま生きてきました。私と出会う3歳以前のことは、実親のことも含め確かなことはほとんどわからないのです。戸籍謄本を見ても、自分の人生の起点についての実感が持てないのです。彼が30歳の頃に私と一緒に自分のルーツを探すために、ある情報を頼りに横浜市内を歩いたことがありました。しかし実親についての手がかりは何一つつかめませんでした。「何も見つからなかったね・・」とつぶやく彼は、涙ぐんでいたようにみえましたが、私は何も声をかけられませんでした。

 それから何年か経って再会した時、ひろしさんは横浜でのことを振り返り「今もおんなじだが、特にあの頃は、何に頑張っていいのか、わからんかったんや」と話してくれました。私はそんな彼に、「いや、すごく頑張って生きてきたと思うよ。ほんとにひろしはずっと一人で頑張って来たし、俺は応援していたよ」と話しました。しかし彼は「確かに何かをしてきたけれど、本当に何に頑張っていいのか分からなかった」とつぶやきました。その姿は力なく空しそうで、何とも言えない寂しさ、孤独を強く感じました。私は「あなたは一人じゃないんだよ」と言いたかったけれど、軽々しく言い出すことも出来ず、無力感を覚えました。

 ひろしさんの背景を思いながら、私は、「自分の命と人生はどこからきてどこに行くのか、もしくはどこにかえる(還る)のか、そして私は一人ぼっちではないんだということがはっきりしなければ、なにか空しい人生で終わってしまうのではないか」という思いをひろしさんはもとより多くの人たちが抱えながら生きているのではないかと、この時強く考えさせられました。

■還るところを確かめる

 それから何年か経て、私はあることを思い立ちました。私にご縁のある方で、自分の行き場がない方がもし希望すれば安心して入れるお墓を自坊の境内に造ろうと思ったのです。そのことをひろしさんに話しました。すると自分も入りたいというのです。もちろん入っていいことを伝えると、そんなにうれしいのかと思うくらい喜んでくれました。そしてとても元気になったようにみえました。人生半ばに自分が入るお墓ができることをそんなに喜ぶものなのかと驚きました。人生の行く先に自分の全生涯をきちんと受け止めてくれる場所があることで、様々な出来事に翻弄される中でも不思議と安心した気持ちになるのだということを学びました。

 ひろしさんの人生と私の人生を重ねて考えてみると、私には両親が当たり前のようにいて、生まれ育った家もあり幼少の頃を知る人も多く、写真だってあります。自分がいつか入るのかなと思うお墓もあります。だからなのか、私は彼が30歳の頃から悩んだ、人生の空しさ・孤独さ・悲しみなどを自分のこととして感じることはあまりないまま生きてきていたように思います。しかし私も自分の親の死を迎える歳となり、やっと自分の人生のことを真面目に考えるようになってきました。

 つい先日ひろしさんと約束したお墓が完成しました。早速、彼に電話で報告すると「近いうちに見に行くわ」と喜んでくれました。東京から能登までわざわざ来てくれるというのです。年齢順で行くと、私が彼のお葬式をして、できたお墓に納骨をするということはないと思います。でもこれからはそのお墓の前で、お互いの人生を語り合い、自分の還るところを確かめ合えたらと思っています。

■空しく過ぎない人生

 二度とない人生を生きる私が、与えられた命と自分の人生について確かめるために尋ねるところが、浄土真宗の教えだと思います。浄土真宗の教えは、私とひろしさんにとってこそ、出あわなければならない教えです。

 本願力にあいぬれば  むなしくすぐるひとぞなき
 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし(高僧和讃 『真宗聖典』490頁)

 この和讃は、真宗大谷派のお葬式の時に読まれるものです。仏様の願いにあうことができたなら、ただ空しく人生を終わることはなく、迷い苦しんでいても、そのままで仏様の功徳が私の身に満ちるのだ、という意味だと私は受け取っています。

 お墓は形あるものにすぎません。自然災害で壊れるかもしれないし、今あるお寺の場所は限界集落と言われる地域ですから、100年もすれば藪に包まれてしまいお寺があったこともわからなくなっているかもしれません。大切なことはお墓という形ではなく、自分の還るところが定まるということではないでしょうか。

 私はひろしさんの人生に少しばかり寄り添わせていただいたおかげで、自分はどこからきてどこに還るのかがはっきりしたところから、本当に精一杯生きることが始まるということを学ばせていただきました。

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