38.南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう
窪田 純(岐阜高山教区)
■突然に 耳に飛び込む お念仏
「なんまんだぶ」。高山別院の晨朝勤行(おあさじ)の準備を終え、静かに勤行の時間を待つ私の耳に、突然飛び込んでくるお念仏。声の主は、輪番(別院の寺務長)だ。
輪番は、ところかまわずお念仏する。歩きながら、本を読みながら、タバコの煙を吐きながら。機嫌がいい時も、ご機嫌ナナメの時も。怒りながら部屋を出ていく時にお念仏が聞こえることもあった。極めつけは、京都の宿で同じ部屋に泊まった輪番の友人が、「なんまんだぶ」という輪番の寝言に驚き、飛び起きたというエピソードもある。
今では慣れてしまったが、輪番と一緒に仕事をし始めた時は、私もこのお念仏に毎回驚いた。「聞こえてくるはずがない」と思う場所、時、条件であるにもかかわらず、お念仏が聞こえてきたからではないかと、驚いていた理由を振り返っている。反対に言えば、お念仏するにふさわしい場所、時、条件があるのだと、私は勝手に決めつけていたのだろう。
■聞こえても 口に出せない お念仏
男女貴賤ことごとく 弥陀の名号称するに
行住座臥もえらばれず 時処諸縁もさわりなし (親鸞聖人『高僧和讃』)
行住座臥時処諸縁をきらわず、仏恩報尽のために、ただ称名念仏すべきものなり
(蓮如上人『御文』三帖目第六通)
別院のおあさじで、何度も見て、聞き、口にしていた親鸞聖人のご和讃と、蓮如上人の御文。お念仏申すのに、場所、時、条件など選ぶ必要のないことを教えていただきながらも、歳を重ねるにつれ、お念仏申すには「条件」や「意味」がなくてはならないと考えていたようだ。そして、その重ねた歳が、「今の歳にふさわしい意味を持つお念仏ができるのか?」と問い、ますますお念仏が出てこない私である。
しかし、お念仏の出てこない私の思いなど関係なく、今日も「なんまんだぶ」というお念仏は突然に聞こえてくる。こんな私を肯定することなく、否定することもなく。しかし、どこか呼びかけられているように感じている。
■託された 願い伝わる お念仏
3歳の時、私は自坊の報恩講(年に一度の親鸞聖人の祥月命日の法要)にお参りさせていただいた・・・そうである。衣の着用は、得度(真宗本廟(東本願寺)にて行われる僧侶になるための儀式)を終えてからご許可いただけるものだと思うが、祖母が一番小さいサイズの衣(間衣)をすそ上げし、3歳の私に着させてくれた。
当時の記憶はほとんど残っていないが、手を合わせて「ナンナンアイッ(なんまんだぶつ)」とお念仏申した時、家族やご門徒さんが喜んでくれたことだけは、はっきりと覚えている。みんなに喜んでもらえるのがうれしくて、私は何度も合掌してお念仏をした。「条件」も「意味」も考えられない幼い私からでも、お念仏は出てきてくれた。
みんなが、幼い私のお念仏を喜んでくれた理由をあまり深く考えたことはなかった。しかし、妻と三人の娘たちがおあさじで手を合わせ、「南無阿弥陀仏」と称える後ろ姿をながめながら、改めて考えることがあった。
南無阿弥陀仏をとなうれば 十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して よろこびまもりたもうなり(親鸞聖人『浄土和讃』)
南無阿弥陀仏を称えると、ありとあらゆるところにおられる仏さま(諸仏となられた先達たち)が、幾重にも私を取り囲んでともに喜んでくださるのだ、というご和讃がある。
幾重にも取り囲んで大喜びしてくださるということは、私がお念仏申すことを切に願い、ずっと待ち続けておられたからだろう。大切に託した願いが相手に伝わるということは、この上ない喜びではないだろうか。この幼い私のお念仏を喜んでくださったご門徒さんたちを、十方無量の諸仏として出遇い直せた気がする。
■勿体なし 待たれ続けて お念仏
鶯の一声は春の至りなり 念仏の一声は本願の至りなり
金子大榮氏(真宗大谷派僧侶1881年~1976年)が残してくださったお言葉である。私が南無阿弥陀仏を称えることは、弥陀の本願が私にまで届いた証なのだ、と。いつの間にか「周りから認められるようなお念仏でなければ」、「意味のあるお念仏でなければ」ということばかりにしばられて、お念仏申すご縁をいただいたことの重大さに目が向かなかった。
人と生まれたご縁をいただいたことも同様だろう。理想の自分、あるべき人間像、価値のある人生。考えるたびに、それらとかけ離れていく自分を喜べない私だったが、すでに人と生まれたことを喜ばれていた身であったのかも知れない。
どれだけお待ちいただいたことか・・・。長いことお待たせいたしました。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。