39.…逆転大金星?!

房常 晶(山陽教区)

「一人くらいは産まないと。」

 かれこれ13年ほど前、41歳の時に私は本教寺にご縁をいただいた。大谷専修学院の同級生で同寺の候補衆徒(お寺の跡継ぎ)との結婚により入寺したのだ。

 入寺して半年が過ぎた頃から、「一人くらいは産まないと。」というお声を頻繁にいただくようになった。そしてそれは、ほぼ100%の確率で「この際、女の子でもいいから。」というお声とセットだった。また、「まだできんのか。子供の作り方知ってるのか。」や「あきらめたわけじゃないわよね。」というお声も多かった。そのたびに、ジワ~っと足先を踏まれるような心の痛みを覚えたが、私どもを心配してくださるお気持ちであることも承知しており、「『妊娠しない』という『ご縁』をいただいています」とお答えするのが精一杯だった。

 44歳になって、いよいよ然るべき検査を受けると、私と夫のそれぞれに少しずつ原因がある事が判明したのだった。その後、高度生殖医療の力を借りて、46歳と7日という超高齢での奇跡の第一子出産に至るのだが、すると今度は「75年ぶりの本教寺嫡男誕生!」「これで寺は安泰!」というお声を次々と頂戴した。その中に、「逆転大金星!皐月賞!(子は5月生まれ)」というお声があり、かつて前々坊守(夫とは血縁のない当時90歳の叔母)の発した言葉と重なった。叔母のそれは、「どこの馬の骨ともわからんような、子も期待できん年増女に寺に来られてもなぁ。」というものだった。私は、「馬の骨」から「絶対負けると思われていたのに逆転勝利した競争馬」になったのか。いや待て。そもそも妊娠・出産は、勝ち負けなどではないだろう。

「妊娠も出産もガンジス川の砂の数ほどの奇跡の連続によって成り立っている」

 妊娠は、卵巣から排出された卵子が卵管内で精子と出遇って受精卵となり、細胞分裂をしながら子宮へと移動し、子宮内膜に着床することによって成立する。そして、10カ月ほどをかけて地球上の生命の進歩の歴史を準えるような神秘的な成長を経て、いよいよ娩出に至るのだが、そのすべてはガンジス河の砂の数ほどの奇跡の連続によって成り立っている。ちなみに、一回の妊娠での流産の確率は平均で15%だが、40歳以上では50%に上がるし、2019年の日本では全出生児の14人に1人は体外受精によって誕生している。私の友人の一人は、35歳から10年間の不妊治療を行うも妊娠に至らず、今は夫婦ふたりで生きていく選択をしている。妊娠経過は順調であったのに分娩直後に子を亡くした友人がいる。3度もの流産を経験した友人もいる。妊娠・出産は今も昔も決して「当たり前」のことではない。

足は踏まれたら「痛い」

 今思えば、「逆転大金星」のお声を機に、「未来を変えたい」という願いが私の中に生まれたのかもしれない。それは、女性や妊娠・出産への無理解や差別的な発言を耳にするたびに、「おかしい」と感じるのに、微笑みを浮かべるなどして受け流してしまったなら、「おかしい」ことを私自身が容認したことになるではないか、と地団駄を踏まずにおれなくなった瞬間だった。「おかしい」と思ったことを「おかしい」と言うと、「笑って聞き流してこそ大人の振舞いだ」などと諭されることがしばしばある。しかし、足を踏まれたら「痛い」のに、「だまって笑え!相手が足をどかすまでがまんしろ!」という社会の方がおかしいだろう。

 私は子どものころから「男らしさ」「女らしさ」を押し付けられることに抵抗を感じ、特に「女の子だから」「男の子だから」という理由で違う扱いをされることに強く反発した。しかし、真宗に出遇ったことで見解は大きく転換したのだった。私が「おかしい」と反発してきた事柄は「私が正しい」とイコールではなく、「あなたが間違っている」ともイコールではなかった。そして、それらのことは「聖徳太子の17条の憲法 第十条」にすでに書かれてあった。

十に曰わく、
忿を絶ち瞋を棄てて、人の違うことを怒らざれ。
人皆心有り。心おのおの執れること有り。彼是すれば我は非す。
我是すれば彼は非す。我必ず聖に非ず。彼必ず愚かに非ず。共に是れ凡夫ならくのみ。
是く非しき理、詎か能く定むべけん。相共に賢く愚かなること、鐶の端無きが如し。
是をもって、彼人瞋ると雖も、還りて我が失ちを恐れよ。
我独り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙え。
【『真宗聖典』(東本願寺出版)965頁】

変わるのは「私」

 また、カナダの精神科医エリック・バーン氏は「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」と言われた。つまり、時代や環境によって異なる社会的性差や無理解に反発するのではなく、私が「おかしい」と感じたその思いを丁寧に言語化し、足を踏まれたら「痛いよ」という事実をお伝えすることが大切なのではないかと思い至ったのだ。そして、もしも私自身が他者の足を踏んでいるのに気が付かずにいるならば、どうか教えてほしいと切に願った。変わるべきは「私」なのだから。

 出産後に最も多く頂戴したお声は、「お宅はいいわね男の子で。うちは女の子だから。」だった。そのお声のあまりの多さに、いかに男児が望まれる社会であるかを喉元に突き付けられる思いがした。しかし同時に「悲しい」と感じたので、「大谷派も女性住職の就任を認めました。女性が家督を継ぐのも普通のことになりました。性別によって扱いが変わらない社会がいいですね。女性として生まれたことが喜ばれないのは悲しいですから。」とお伝えするようにした。次に多かったのは、「せめてもう1人は産まないと。一人っ子じゃかわいそう。」だった。そのお声は、第一子出産までの道のりが少々険しかった者にとって決して小さくはない「痛み」だった。よって、「46歳の超高齢初産です。第一子出産までにかなりの時間を要しました。今は「二人目を!」と言われるのが一番つらいです。この子と共に生かされている今を大切にしたいです。」と正直な思いをお伝えした。

変わるのは「私」から。

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