22日は、越前市、鯖江市、福井市の市街地や住宅が集まる地域を歩きます。そして21日以上に、一般家庭へのお立ち寄りが多いのも、22日の特徴です。
各家庭でお聞きした家主様のお話は、蓮如上人の御影をお迎えするのは、特別なことではないということでした。毎年の正月をお迎えするように、または、自分の家のご法事を執り行うように、物心ついたときからずっと生きることと同じようなあたりまえの行事ということでした。ある方は「私たちそのもの、生活とは切っても切り離せない」とお話されました。
ただし、あたりまえというと軽い感じがするようですが、そうではありません。皆さん、「有り難い」「うれしい」と仰るのです。ある方に、蓮如上人はどんな方でしょうかね?とお尋ねすると「言葉にならないね・・・何にしろ、やさし~い人」と、その声の質感からもやさしさがあふれてくるようにお答えいただきました。また別の方は、「蓮如上人に会えることは有り難い、それしか言えん。銭金じゃ買えない喜び」と仰いました。
皆さんにとって、蓮如上人は生きているのです。ことばとして対象化できないほど、ひとりひとりの心の深みに息づいている、そんなことを思いながら歩き続けた一日でした。
ある60歳代の方は、「蓮如上人様に対する私たちの思いは、信仰というものを超えているんじゃないかな?敬う理由がなくても有り難い、私たちそのものといっていいんじゃないかな」とお話され、最後に「蓮如上人は過去の方じゃないんです。過去の人なら、敬う理由が必要でしょう?でも私らにとっては蓮如上人様は確かに生きている。言葉にする前に、生きているんです」
蓮如上人は生きている。
京都から湖西を通ってずっと歩いてきましたが、道のそばで手を合わす方々の心の一端にふれる思いがしました。
■超恩寺(福井県越前市) 宿泊所
■淨秀寺(福井県越前市) 宿泊所
※奇数年は淨秀寺が、遇数年は超恩寺が宿泊所の会所寺院
■光澤寺(福井県越前市)
■本法寺(福井県鯖江市)
■東稱名寺(福井県福井市)
■善良寺(福井県福井市)
■浄得寺(福井県福井市)
■福井別院(福井県福井市) 宿泊所