「静かに己れを悲しむ心より 眞實の力は生る」武内了温
私たちの社会には、部落差別問題をはじめいのちの尊厳にかかわる差別問題が存在しています。これらの問題は、私たちが同じ人間を人間として扱わず、また自らも人間であることを見失っていく問題です。お互いを「同朋」として見出しあい、水平な関係を生きることが願われています。
「旃陀羅は悪逆賤視の代表として説くなかれ、 往生正機正客 の大聖権化の仁として説かれむことを」武内了温
『仏説観無量寿経』における「是旃陀羅」問題は、1922年全国水平社創立以来、東西両本願寺に対して要請され続けてきた課題です。それ以来、問われながらも応答できずにいました。2013年部落解放同盟広島県連合会からあらためて指摘を受けました。これは、宗派に対する問いかけでもあり、これまでの教学の歩みが差別を助長し再生産するものではないのかという悲痛なる叫び声でもあります。私たちはどのように問いかけの前に立つのか、真宗の教えを聞くものとして決して看過できない大切な課題です。
「このような惨事を未然に防止する努力を惜しまないことを決意する」(真宗大谷派不戦決議)
真宗大谷派では、1987年に「戦没者追弔会」を、「全」と「法」の二字を加えた「全戦没者追弔法会」と改称。同時に侵略戦争を聖戦と呼び、親鸞聖人の仰せになきことを仰せとして語った宗門の罪責を表明しました。以降、春の法要期間中に「全戦没者追弔法会」をお勤めしています。戦争でいのちを奪われた方々を憶念し、仏が願われた「兵戈無用」(『仏説無量寿経』)の教えから、私たちの今を問い直す法要です。
関連行事として、非戦・平和展、シンポジウムが開催されています。
「余は非開戦論者である。戦争は極楽の分人の成すことではない。」高木顕明「余が社会主義」より
世間が日露開戦に沸き立つ時代、非戦と平等を願い、差別を問うた僧侶がいました。和歌山県新宮市浄泉寺住職の高木顕明師は、当時の誤れる国家主義を問い、南無阿弥陀仏に生きようとしました。その結果、顕明師は「大逆事件」に連座し、国家に追随した宗派からは「擴斥(追放)」処分されました。私たちは、宗派の過ちと師の事績に学び続けるため、毎年、「大阪教区高木顕明の事績に学ぶ実行委員会」と難波別院と共に、遠松忌法要を勤めています。顕明師の非戦と平等の願いを訪ね、志を継ぎ、自らの歩みとなることを願ってやみません。
解放運動を推進していく人の誕生を願い、差別と闘う主体の確立を目指しています。
解放運動推進要員研修会は、部落差別問題をはじめいのちの尊厳にかかわる差別問題、非戦・平和の課題、時代社会から問われる課題に向き合い、解放を願い行動してきた人たちとの出あいをとおして、教えに自らを照らし、同朋社会の顕現に向けた取り組みを進める人の誕生を願いとしています。2年間、8回の研修を行っています。
「わたしは宗教家と闘いはしない、宗教家を求めているのである」 西光万吉
真宗大谷派は1969年に難波別院輪番差別事件を起こし、部落解放同盟より厳しい糾弾を受けました。長い間差別に加担してきたことをみとめ、「教団そのものが差別教団である」ことを表明しました。「差別問題は信心の課題である」という認識のもと、教区の実情をふまえながら、2年間を指定期間とし差別問題への学びを深めていくための研修を実施しています。
「本当の人間回復とは、私を園に送りこんだ側、差別した側も共に回復することです」
伊奈教勝さん(真宗大谷派僧侶、ハンセン病回復者)の言葉より
真宗大谷派は、1996年「らい予防法」廃止時に、国の隔離政策を支えてきた自らのあり方を謝罪しました。そのことを出発点として、過去から現在に至るまでの差別・偏見からハンセン病療養所の「内と外」が共に解放されていく歩みを始めるために、「ハンセン病問題に関する懇談会」(当時、ハンセン病に関する懇談会)が発足しました。
懇談会は、6つの連絡会、3つの作業部会で構成されており、療養所の入所者、退所者との交流や、ハンセン病問題全国交流集会、研修会の開催などを積極的に行っています。宗派のハンセン病問題への取り組みを紹介する広報誌として『ネットワークニュース 願いから動きへ』を発行しています。また、2016年に提訴された「ハンセン病家族訴訟」の支援を続けるなど、活動の幅は広がりを見せています。