生老病死の問いを様々な現場で考え、表現している方を講師に迎え、「老病死」を抱える身として生まれた私たちの存在とはどういうものなのか、そのことをともに考える「しんらん交流館公開講演会」

チラシ_page-0001僕がフィールドにしてきた東北には、「いのちを巡る思想」が強固にある

赤坂さんが震災の直後に海辺を歩いたとき、「魚を食べたくない。」という人が多かったそうです。その理由は、〝遺体が上がらない″ということは、どういうことかを皆知っているからこそ。

捕れた魚の内臓、あるいはタコの頭を割いたら、そこから爪や髪の毛が出てくるというのは、都市伝説じゃない。

しかし、一人の漁師が「いや、そんなことは当たり前だ。だから俺は食べる。」と言い切った、その言葉を聞いたときに、命に対する感覚、つまり自分が生態系の外ではなく中にいるという感覚を持っていると思った。海辺の村で聞き書きをしていると、家族を海で失ったという人は多い。海の幸をいただいている人たちは、時には自分の体を海の生きものたちに差し出しているという感覚が、間違いなくあると思うと語られています。

また、東北の方たちは、自然をしなやかに受け止めているから、耐えることができるのだと思う。現代社会は○か×かで判断して、ふところ深く受け止めることをしません。糾弾する風潮があります。耐えるというのは、考えずに我慢することではなく、しなやかに対応することとも語られています。

私たちはいかがでしょうか?

「東北学」とは東北という土地を、文化、地理、歴史、経済など様々な領域を横断しながら研究する学問的な方法のことです。

その「東北学」の提唱者として知られる民俗学者の赤坂さんは、90年代初めから東北を歩き始め、20年以上の間、東北の村や町を訪ねられました。また、震災以降の東北を訪ね歩くフィールドワークも行われています。

講演会では東北の地に根付いた文化や言葉、そこに生きる人々をとおして、地域社会の在り方や山野河海とともに生きることについてお話しいただきます。

●開催日時 2019年9月5日(木)18:00~19:30

●講   師 赤坂憲雄さん【学習院大学教授・民俗学者】
●講   題 「山野河海の言葉たち」 

●聴  講  料 500円

※1階京都ホテルオークラ・オリゾンテのソフトドリンク1杯無料券付です。講演会のはじまる前に、美味しいコーヒー・紅茶をどうぞ(当日から9月末日まで有効です)

●そ  の  他 事前申込み不要です。公共交通機関をご利用ください。

 

【メッセージ】

東北をフィールドとする聞き書きの旅のなかで、たくさんの珠玉のような言葉に出会った。その多くは、山野河海にかかわる暮らしや生業に仲立ちされて紡がれた言葉たちであり、それはわたしたちの民俗社会という過去に属するものであると同時に、これからの地域社会をデザインし直すために必要な未来に属するものでもある、と感じてきた。そのいくつかを紹介しながら、山野河海とともに生きることの意味を再考してみたい。

【プロフィール】

東京都出身。学習院大学教授。福島県立博物館館長。専門は東北文化論と日本思想史。東北学を掲げて、地域学の可能性を問いかけてきたが、東日本大震災を経て、東北学の第二ステージとさらには武蔵野学を探りはじめている。主な著書に、『異人論序説』『排除の現象学』(ちくま学芸文庫)、『境界の発生』『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫)、『性食考』(岩波書店)、『武蔵野をよむ』(岩波新書)ほか多数。

【次回以降予定】

2019年10月17日(木)石川文洋(報道写真家)

2019年11月14日(木)関野吉晴(探検家・医師・人類学者)

2019年12月12日(木)山折哲雄(宗教学者)

2020年1月未定

2020年2月6日(木)原田眞人(映画監督)

以降未定

【日本記者クラブのシリーズ企画「3.11大震災」】より