仏さまの前で合掌礼拝するときは、必ず念珠を手にかけます。どうして、念珠を手にするのでしょうか?
念珠は数珠ともいわれ、古くから最も身近な仏具として、法具として使われてきました。それは、紀元200年~300年頃には僧侶をはじめ王侯貴族などに普及し始めたといわていますが、当時の念珠は108個の主玉を通し、親玉に似た玉一個に結んだだけの簡単なものだったといわれています。
四世紀頃に中国で編まれた『木槵経』というお経に、
ある国の王さまがお釈迦さまのもとに使いを遣わして、「我が国は、常に戦乱があるために、五穀実らず、しかも悪病流行して国を治めることが困難であります。政治をとりつつ仏の道を修行していきたいと思いますが、どうしたならばよいでしょうか」と尋ねました。
すると、お釈迦さまは、「それは難しいことではない。木槵子(日本では無楼子とも言われる)を108を糸でつないで輪を作り、それをいつも手から離さず、仏法僧の三宝(仏とその教え、そして教えを伝える僧のこと)を称えつつ木槵子の実を一つずつ繰り、これを 100万遍繰り返せばおのずから心は静まり、煩いをのぞき、間違いのない政治をすることが出来るであろう」と仰せになりました。
お釈迦さまが念珠についてお話をされたと記されており、親鸞聖人が師と仰がれた源信僧都(924年~ 1017年)も『往生要集』で引用されています。
御影堂の親鸞聖人の御真影の手には半装束念珠があります。この半装束念珠は通常の数倍大きな房をつけており、数年に一度、念珠のかけ替えが行われます。このかけ替えは、念珠の玉は現存のものを使い、新しい房にかけ替える作業ですが、房は今のように使いやすい糸のない時代から作られてきたため、蚕が作る絹の原糸を使い昔からの伝統的な技法を用いて仕立てます。絹の原糸はコシがあるため、通常の半装束念珠にかかる製作時間とは違い数時間を要します。また、東本願寺の閉門から明朝の開門までの夜中限られた時間内に仕立てをしなくてはならないため、今までかけ替えに携わってきた職人には数々の苦労があったと伝えられています。
協力:福永念珠舗(公式HPはこちら)