釈尊の生涯
著者:古田和弘(九州大谷短期大学名誉学長)
釈尊(お釈迦さま)は、今から約2千5百年前の4月8日、北インドのカピラ・ヴァストゥを都とした釈迦族の浄飯王(スッドーダナ) と摩耶夫人(マーヤー)との間に誕生されました。摩耶夫人は、出産の日が近づいてきたので、実家に帰って出産するために故郷に向かわれました。しかし、道中のルンビニーという森の中で出産されたのです。出産後、夫人は体力を回復することなく、7日後に亡くなられたと伝えられています。
この出来事は、仏教の基本的な性質に深くかかわっていると思われます。釈尊にしてみれば、ご自分の誕生とお母さんの死が、7日の差はあるにしても、一つの出来事だったのです。一人の命を世に送り出すほどの力をもった人が、そのことによって、自らの命を失ったのです。つまり生と死との矛盾です。釈尊は、生まれながらにして、生と死の厳粛な事実に直面されたことになります。
これを一個人の場合に置き換えると、自分の生には必ず自分の死を伴います。生があるから、そのために死があるのが当然なのです。生と死は別々のことではなくて、一つの出来事なのです。生は都合がいいけれども、死は都合が悪いということは、私たちの思いではあるけれども、それは道理に合わないことなのです。
釈尊は、生と死の問題をはじめ、人生につきまとう憂愁を解決する道を求めて、29歳の時、出家されました。出家というのは、家庭はもちろん、世間から完全に離れて出世間に立つことです。世間にいると、世間の理屈に妨げられて、かえって世間が見えなくなります。このため、完全に世間を越えた出世間に立って、世間を見直されたのです。言い換えれば、「現実」を捨てて「事実」に立ち、「事実」から「現実」を見直すということになるでしょう。
そして、数々の辛苦ののち、35歳の時、人生を貫いている「事実」に目覚められたのでした。これがブッダの誕生でした。
それ以後、釈尊は「目覚めた人」として、80歳で亡くなられるまで、来る日も来る日も、現(うつつ)の事実ではなくて、真(まこと)の事実、つまり「真実」を人びとに説き示されたのでした。これによって、世に仏教が出現したのです。
初めて教えを説かれた時、「仏」と「法」と「僧」とが成立しました。つまり、「目覚めた人」(ブッダ)と、「目覚めた人によって顕かにされた真実」(ダルマ)と、「真実を依りどころにして現(うつせみ)の世を生き抜こうとする集団」(サンガ)が世に出現したのです。ここから、これを「仏宝」「法宝」「僧宝」の三宝として敬う仏教の歴史が始まったのです。聖徳太子は、制定された「十七条憲法」の中に、「篤く三宝を敬え」と標記され、その精神を根底にして、この国の政治の舵取りをされたのでした。
近代の政治は、まるでズレてしまっているようです。今の私たちは、何を尊重しているでしょうか。私たちは、自分の都合を大切にしています。自分にとっての利益を重んじています。自分が納得する合理性を尊重しているのです。そのために、さまざまな混迷に身を置かなければならなくなっているようです。
私たちは、「真実」を敬っているとはいえません。「真実」は、仏陀と教法と僧伽の三宝として具体化されています。今こそ、目覚めた人が知らせようとしておられる真の事実に対して素直に敬意を払う時ではないでしょうか。
『現在を生きる 仏教入門』(東本願寺出版)より
東本願寺出版発行『真宗の生活』(2019年版⑨)より
『真宗の生活』は親鸞聖人の教えにふれ、聞法の場などで語り合いの手がかりとなることを願って毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『真宗の生活』(2019年版)をそのまま記載しています。
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