ひらかれる継承

喫茶さざなみハウス 鑓屋 翔子

  

■「さざなみハウス」

 国立療養所長島愛生園の中で喫茶店を開業して、今年で丸4年が経ちました。島の内外からお客さんはやってきます。名前は「さざなみハウス」。園内にかつて存在していた「さざなみ食堂」と、目の見えない方や見えにくい方の集会所である「ライトハウス」からその名前をつけました。

窓から瀬戸内海を望める「喫茶さざなみハウス」

 「なぜここで店を始めたのですか?」と店のカウンターに立っているとたくさんの人から質問されるのですが、偶然としか言いようがありません。三十歳を過ぎた節目に「自分の店を持ちたい」なんて漠然と口にしていたら、思っていたよりずっと早く店を始めることになりました。ハンセン病や長島についてもぼんやりしか知らないまま、この土地と偶然つながり、決心して数ヵ月のうちに店はオープンしたのでした。

 ですから、かつての「さざなみ食堂」が、当時患者だった入所者の方たちにとっては入れなかった場所にあり、馴染みがない食堂だったということも、店を始めてしばらくしてから知った事実です。今となってはみんなが呼ぶ「さざなみ」という名を気に入っていて、本を読んでいても音楽を聴いていても旅先に来ていても、その名を見聞きするとつい反応してしまいます。すっかり「さざなみ」びいきな私ですが、当時はなんとも言えない気持ちになったのでした。そんなことがありながらも、あれよあれよという間に気づけば現在に至るわけです。

  

■「さざなみハウス」での出会い

 店というものは、この場所にどんな客層が来るのかといったことを、ある程度想定したうえで始めるものかと思うのですが、「さざなみハウス」の場合、それは全くわかりませんでした。一緒に話を進めていた入所者自治会の皆さんも同じだったように思います。施設に何のゆかりもない若い女性が始める、ということも大きな不安要素だったのではないでしょうか。

 オープンして最初にやってきたのは入所者の方たちでした。その頃の入所者数は一五〇名ほどで、そのうち自治会数名としかやり取りがなかったので、「入所者」という存在がどういう人たちなのかわからず、とにかく緊張したのを覚えています。ある時、天気の様子から台風が来そうだと心配していたら、「向かいの小豆島が見えているうちは大丈夫」と教えてくれた入所者の女性がいました。何気ない世間話のやり取りが、私をはっとさせました。ここはただの喫茶店である。その何でもなさのおかげでここまでやってきたような気がします。とはいえ、営みを始めた場所は、平均年齢が九十歳ほどの高齢者が暮らす島であり、さまざまな身体の後遺症を抱えた人たちが療養している場所でもあり、ハンセン病の隔離政策が実際に行われてきた記憶の地層を感じる場所であることも同時に実感するようになりました。

 入所者と他愛のない世間話を楽しむ一方で、彼らが長島で暮らすようになったそもそもの理由に立ち返り、自分の中で考えることが多くあります。現在、愛生園は創立93年にあたる年ですが、大きな時代の終末に差し掛かっていることにも気づくようになりました。いつでも聞けると思っていた話がもう聞けない。店の常連さんを何度か見送る中で、付き合いのはかなさを突きつけられたような気がしました。

 祖父のように友人のように慕っている入所者自治会会長の中尾伸治さんは、継承の在り方について日々考えています。長島に生きた先輩の言葉を語り継ぐこと。時代が変わっても伝わる言葉を探していること。当事者であるにもかかわらず、常に私たちと目線の高さを合わせてくれるところに中尾さんの熱心な思いと柔軟さ、瑞々しさを感じるとともに、その荷物を少しでもわけてもらえたらいいなと、そんな気持ちが私を動かしています。

  

■私たちが語ることの重要性

 入所者でもない、その時代を生きたわけでもない私たちがどうやって記憶を継承していけばいいのか。まだまだ模索中ですが、機関誌「愛生」を読む会や、映像で記録を残す「長島ストーリープロジェクト」、ポッドキャスト「何か不足」、それから演奏会やイベントを定期的に開催して、長島のことをいろんな視点から捉える取り組みをしています。

 そうしていく中で気づいたことは、ハンセン病の元患者ではない人たちが語ることの重要性でした。ある入所者の男性と世間話で盛りあがった時、何気なく「いつ(愛生園に)入所したんですか?」と尋ねたことがあります。すると「もう聞かれ飽きたわ」と、初対面の人からいかに生い立ちを求められてきたかを話しだされました。その時、無自覚のうちに相手の男性に対して「ハンセン病の元患者」像を求めていることに気づき、思わず頭を抱えました。しかも、喫茶店内の茶飲み話で。

 元患者の方に話を聞くということは、話を聞いた私たちにも責任が生まれることでもあるのだと思います。責任といっても難しいものではなく、実は誰にでも聞いた話について語る言葉はちゃんとあるのではないかということ。自身の内面の世界に波紋を広げていった先に、何らかの形で「継承」という行為が現れてくるような気がしています。長島愛生園もハンセン病のことも、それから自分の生活のことも。実は全部地続きで繋がっていて、誰でも考えることができるものなのだと思います。

 私は邑久長島大橋が架かった年に生まれました。架橋運動では「人間回復」という言葉がスローガンとして使われていたそうです。言葉のインパクトが強すぎて自分と焦点が合わなくてわからなくて、ずっと考えてきました。生活のほとんどを長島で過ごすようになって、長島で知る喜怒哀楽に共感したり、自分の無知や想像力の欠如に落ち込んだり、心が大きく揺さぶられるようになり、自分が人間であるという手ごたえを最近になってようやく感じるようになってきました。これまでの人生で、何かを強制されたり、縛られたりするような生活をしてきたわけでもないのですが、長島に関わるようになったことで人間回復しているような気持ちになっています。私は人と関わりながら生きている。当たり前のことを強く感じ、自分の両手で包み込んだだけが世界のすべてではないと気づかされているところです。時には誰かと手を取って、時には手放して、そうやって自分の足で歩いていくための道しるべが長島にはある気がしています。そういう肌ざわりというか、手ごたえを、「さざなみハウス」に来て感じてもらえたら嬉しく思います。

  

■喫茶さざなみハウスホームページはこちらから

  

真宗大谷派宗務所発行『真宗』2023年9月号より