宗教生活

著者:廣瀬 惺(同朋大学名誉教授)


善導大師は、本願をいただいて念仏一つに救われていく身になっていくための行として、「五正行」(仏の教えにのっとった五つの行)ということを教えてくださっています。それは読誦(本願の心を説いてくださる教えの言葉を繰り返しいただくこと)・観察(その教えの心を生活の中で確かめていくこと)・礼拝(阿弥陀仏を礼拝すること)・称名(南無阿弥陀仏と称えること)・讃嘆供養(仏を讃えて語りあい、また、お花やお仏飯をそなえたりして仏さまのお徳を讃嘆すること)の五つの行です。


それは、真宗門徒が日々の生活の中で行ってきた行です。蓮如上人は勤行本を配布して、朝のお勤めをすすめられました。それは、人々に五正行を持った生活を開こうとされたのでしょう。ただ、ここで大切なことは、五正行はそのことが目的ではないということです。どこまでも、本願をいただき、念仏一つに救われていく身に定まっていくための五正行であるということです。


念仏一つに定まるところに、真宗の教えの要があります。しかしそのことは、単に知識として、「念仏一つに定まることが大事だ」と知っていればいいというものではありません。それは実際の生活の上で、さまざまな問題や矛盾を抱えて生きている私の人生全体の立脚地が念仏一つに定まるということであり、全生活的な事柄です。そこには、「念仏一つ」ということが、生活の事実として身についていかなければならないのでしょう。そこに善導大師が、五正行ということを教えてくださっている意味があります。日々の生活の中で本願念仏の教えに学び(読誦・観察)、帰依すべきまことがあることを身に明らかにしていく(礼拝・称名・讃嘆供養)、それらのことをとおして、はじめて身の事実として、念仏一つということが明らかにされていくのでしょう。


五正行(勤行)ということで、印象に残っていることがあります。それは西田辰正という方が、道を求める一人の女性に対して、「単に聖典を読むだけでは観念的になるし、助かりたい思いで言葉をつかまえようとするから駄目だ」とした上で、


朝勤行から始めたとは嬉しい、体得実行でなければ身につかぬものである。

(『大地に聞く続編―西田辰正先生のお手紙』一〇四頁)


とおっしゃっていることです。


そのように、念仏一つに救われていく身になるということは、生活の上に具体的な形(五正行)をとるものなのでありましょう。


『「御文」のこころ―蓮如上人からの手紙―』(東本願寺出版)より


東本願寺出版発行『真宗の生活』(2020年版⑤)より

『真宗の生活』は親鸞聖人の教えにふれ、聞法の場などで語り合いの手がかりとなることを願って毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『真宗の生活』(2020年版)をそのまま記載しています。

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