亡き祖父や祖母を想って
著者:寺田桃花(九州教区願船寺)
帰命無量寿如来 無量寿如来に帰命し、
南無不可思議光 不可思議光に南無したてまつる。
「正信偈」(『真宗聖典』第二版二二六頁・初版二〇四頁)
私が正信偈と出あったのは7歳のとき。真冬のある寒い日の早朝、信仰心の厚かった父方の祖母が突然亡くなった。家族は茫然。特に父は祖母に対し何の親孝行もできなかったと、祖母の死をとても悔んだ。それから父は、四十九日の間、毎朝お寺のお朝事に参詣し、毎夕祖父宅のお内仏で夕事をお勤めした。幼かった私と2つ下の妹も、有無を言わさず連れられて、朝6時半からのお朝事にお参りした。夜が明けそうで明けない寺までの道のりを、父の大きな背中を仰ぎながらとぼとぼ歩いた。この記憶を生涯忘れることはないだろう。
そうして朝な夕なに正信偈をお勤めしていると、自然と空で言えるようになった。妹と競争するように大きな声で読む。すると、家族や寺にお参りしている門徒のおじいちゃんやおばあちゃん、みんながみんな褒めてくれた。うれしくなって、もっと大きな声でお勤めした。いまになって思うと、きっと私や妹が読む正信偈の響きが、父や祖父の心の励ましになっていたのだろう。大好きな伴侶を突然失い、まさか後を追うのでは・・・と心配もされた祖父だったが、祖母の死を乗り越え、7人の孫たちを存分に愛し、祖母の死から25年の後に、92歳で往生を遂げた。
生前、大好きな祖父から真宗に生きた祖母のことをたくさん教えてもらった。夫婦で遠く離れたご本山に参詣した話を、昨日のことのように語ってくれたうれしそうな姿をよく覚えている。ああ、ばあちゃんはこんな人だったんだ。幼いころに見た面影を祖父の優しい言葉に重ねながら、遠き日に亡くなった祖母を想う。
在家出身の私が僧侶の道に進もうと決めた理由も亡き祖父や祖母にある。実は私は25歳の時、突然脳梗塞で倒れた。生死の境をさまよい、意識不明の状態から目覚めると、全ての言葉を失っていた。絶望だった。そんな辛く悲しい日々に寄り添ってくれたのは、真宗の教えであった。祖父や祖母が伝えてくれた真宗の教えが、聞き続けてきた正信偈の響きが、私に「生きよ!生きるのだ!」と呼びかけてくれた。いや、私は生まれたときからずっと、阿弥陀さんに「生きなさい!生きるのだ!」と呼びかけられていたのだろう。その呼びかけを大好きな祖父や祖母が、私に伝えてくれた。今度は私が伝える番だ。
今年もお盆がやってくる。新米僧侶として四苦八苦しながら奮闘している私の姿を、亡き祖父や祖母はどんな想いで見ているだろうか。背中がしゃんと伸びる。あの頃のように、いまでも正信偈をお勤めしていると、とても安心した気持ちになる。「あぁ、私はここにいていいんだ。阿弥陀さんがついていて下さる、見守っていて下さる」と、素直にそう思える。生きよ、生きるのだ。阿弥陀さんからの呼びかけに、今日も生かされている私がいる。さあ、今年もお盆を迎えよう。
東本願寺出版発行『お盆』(2021年版)より
『お盆』は親鸞聖人の教えから、私たちにとってお盆をお迎えする意味をあらためて考えていく小冊子です。
本文中の役職等は発行時のまま掲載しています。
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