2001真宗の生活

2001(平成13)年 真宗の生活 9月 【念仏】

<本当の宗教>

新聞やテレビでは、毎日のように宗教に関することが報道されています。しかし残念なことに、それは多くの場合、犯罪や事件に関連してのものです。その反応は、宗教に関わると(こわ)い、私はそんな(あぶ)ないものには関わっていないし、関わりたくない。こういう宗教に引っかかるなんて、よほど心に(すき)がある人だろう、などです。しかしその一方で、日本にはおびただしい数の宗教法人があり、現在も増え続けているのも事実なのです。

一方で私たちは、危ないといって宗教を否定しながら、その一方で次から次へと新しい宗教を生みだし続けています。このどちらもが決して人ごとではなく、どこまでも私たち自身の姿であると確かめられたのが親鸞聖人(しんらんしょうにん)です。

現在私たちが生活している社会は、刺激(しげき)に満ちあふれ、ある意味でたいへん魅力的(みりょくてき)な世界です。しかしこの刺激には、これで満足という終着点はありません。刺激にどんどん()れてしまい、さらに次々と新しい刺激を求め、それに満足を与えようとする物が登場してきます。その時々の流行や都合で宗教も求めたり否定したりするのです。常に追い求め続けていないと、自分だけ置き去りにされたような孤独を感じます。生きている実感も得られなくなります。このような生き方の全体を、聖人は「空過(くうか)」-()しく()ぎる人生と見抜かれました。

念仏とは、自分の都合で新しい「仏(宗教)」を作り出すことではなく、仏に念じられている世界に呼びかえされることです。ここに本当に満足できる自己自身と、一方で刺激を追い求め、都合のよい宗教を作り続ける自身の罪を親鸞聖人は明らかにされました。

『真宗の生活 2001年 9月』【念仏】「本当の宗教」