恩徳への讃嘆―祖母の姿勢―
(松金 直美 教学研究所助手)
先日、母方の祖母が九十一歳で亡くなりました。お西(浄土真宗本願寺派)の寺で生まれ、お西の寺に嫁いだ祖母に、私は大変可愛がられました。もんぺ姿で遠くのご門徒宅へも寺役参りに歩いて赴く祖母のお供を、幼い私は時々していました。
祖母の生活は、常に阿弥陀さん中心でした。いただき物は、真っ先にお御堂にお供えしていました。そしてお参りの時には、ご本尊である阿弥陀さんの前だけでなく、祖師前・御代前、さらに二ヵ所の余間と、必ず五ヵ所に座ります。一つ一つの前で丁寧に、報恩謝徳の面持ちでお念仏する祖母の姿を、幼い私は一生懸命まねをしていました。
祖母とは幾度となく恩徳讃を一緒に歌いました。親鸞聖人の和讃に曲を付けた恩徳讃には、よく知られたものとして二種類の曲があります。お西では軽快な曲調(恩徳讃Ⅰ)の方でよく歌われますが、お東(真宗大谷派)では落ち着いた曲調(恩徳讃Ⅱ)で歌う機会が多いです。まず作曲されたのは落ち着いた曲調で、大正七年(一九一八)に新築されたお西のハワイ別院での法要にあわせて、ハワイ別院に赴任した澤康雄氏によって作られました。その後、戦後になってからお東の寺院出身者である清水脩氏が軽快で明るい曲調で作曲しました。ただ高倉会館にはじまり、現在はしんらん交流館で続いているお東の日曜講演では、清水氏作曲の節で歌い継がれています。
私はお東のお寺に生まれ育ちましたが、軽快な曲調の方が好きだったこともあり、祖母とは清水氏作曲のメロディで、よく一緒に歌いました。今思えば、朗らかで明るい祖母の性格と恩徳への讃嘆が身に備わっている祖母の姿をそのまま表したかのような歌に思えます。
晩年の祖母は認知症が進んでいきました。そうなると、日頃からのこだわりが、はっきりと出てきます。祖母のこだわりは大きく二つありました。
一つはファッションです。祖母は元気な頃、毎日、着物を着て生活していました。普段着が着物です。そしてお出かけする時、ワンピースを着ていました。おしゃれで素敵だな、と私のあこがれでした。病気や認知症が進んでからは、洋服を日々着ていましたが、お気に入りの白いカーディガンがない、と不安がっていたこともありました。
もう一つのこだわりが真宗です。生活の中に仏法が息づいていました。ある時、何度も確認されたのが、私の実家である寺院の報恩講がいつかということです。何度もたずねてくるので「ぜひお参りに来てね」と伝えると、祖母には心配事があるようでした。今の髪型でよいか、美容院に行かなくてよいか。そして、報恩講へお参りに行く際、青い着物を着て行くのだ、と言っていました。実際に、青い着物を着てお参りに来てくれたのですが、お気に入りの着物で身を正して報恩講へお参りすることが、お念仏の教えに生きた祖母の譲れない姿勢であったのではないかと思います。
仏法にふれる生活の中で、仕事をしながら身形(みなり)にも気を使った一人の女性として歩んでいた祖母は、あこがれの存在でした。常に、如来大悲・師主知識の恩徳への報謝の念を忘れず、日々の生活で讃嘆し続けたのが、祖母の姿勢でした。
(『ともしび』2019年6月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
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