存在の重み
(名畑 直日児 教学研究所研究員)
今年の四月から五月の間、新型コロナウイルス感染症拡大に伴い、仕事においても、自宅待機することになった。職場の人とは、休日以外の毎朝、定時にオンラインでのミーティング、『真宗聖典』の輪読をしながら、私自身、自宅における新しい日常の時間の流れを模索していたように思う。そしてオンラインでのやりとりが続く中で、映像を通して相手の表情や声を頼りに、お互いの様子を確認していた。
その後自宅待機が解除され、久々に職場に出て来たときは、これまでとは違う職場の雰囲気に新鮮さを感じながら、自分のデスク周りを整理していた。そのうち職場の人たちと久しぶりに顔を合わせたときは、なにか恥ずかしいような、ドキドキするような不思議な気持ちになった。
オンラインミーティング等、コロナによって初めて経験することが多い一方、それまでの日常がまた違って見えてきたというのは、多くの人が経験したことだろう。毎日会っていれば特に感じることがない周りの存在を、今回、また違った形で感じることになった。その中で私が感じたドキドキ感というのは、いつも言葉を交わす間柄の中で、その言葉を超えた、人の存在の重み、あるいは深さから来たものではないかと思う。
仏法聴聞をとおして、真実なる言葉を聞きたいと願いながら、私自身の問題として、文字面だけが上滑りし、言葉の意味が理解できても、わが身の存在に響き、耳の底にとどまるような重みを感じとることができない。ここにはどんな問題が横たわっているのだろうか。
安田理深は、師の曽我量深との出会いについて次のように述べている。
安田は、曽我の言説に人間の存在の深みから出てくる力、それはまた自身の実存へ帰らしめる力を感じたのだろう。その存在の深みというのは、曽我自身を超えた力との出会いに由来するものであり、曽我による求道を縁とするのではないだろうか。
常に自分の都合でしか相手を見ていない、言葉のやりとりだけで相手を理解したつもりになっている姿が見えてくるように思う。一つの言葉が生まれてくるその背景に、その人の存在の重み、歩みが横たわっていることを教えられたように思う。
(『真宗』2020年12月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
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