「日曜講演」百年
(御手洗 隆明 教学研究所研究員)
日曜講演は、一九二二(大正十一)年六月二十八日に京都の高倉会館(下京区高倉通六条上ル)ではじまった、誰もが自由に参加できる公開講演会である。現在は「東本願寺日曜講演」としてしんらん交流館で開催され、来年の六月末に開始より百年の勝縁を迎える。
日曜講演の会場であった高倉会館は、かつては学寮(高倉学寮)の「講堂(貫練堂)」であり、明治期後半には真宗大学(大谷大学の前身)の施設でもあった。大正期、立教開宗七百年に向けた動きの中で、この講堂が「高倉会館」の講堂として生まれ変わり、その教化活動の中心となった行事が「日曜講演」である(本誌二〇一六年十二月号 拙稿「開かれた聞法道場 高倉会館の歴史をたどる」参照)。
明治から大正にかけて、京都には「総会所」のような門信徒の施設はあったが、東京の求道会館のような、一般の人も自由に参加できる聞法会を開く場が少なかった。東京で学んだ経験をもつ加藤智学・多田鼎・山辺習学は、自由参加の講演会を京都で実現するために、聞法道場としての高倉会館を構想した。
日曜講演の第一回は、会館創設(大正十一年五月二十三日)の翌月に開催され、講師は山辺習学(大谷大学教授)と梅溪得雲(真宗中学教授)であった。当初は「通俗講演会」とも呼ばれ、聴衆には「医師、学校教職員、会社員学生等と云ふ所謂有識者」が多かったという。
大正から昭和にかけての日曜講演では、講演後に「信仰座談」が開かれ、また同じ講師による連続講演や、『高僧和讃』を一年間リレーで講じるなど、さまざまな試みがあった。講師には山辺ら有学階者をはじめ、武内了温など宗門内識者の名前も見える。「恐らく質に於ても量に於ても市内日曜講演中他に比類ない」という聴衆のために、戦時中も開催が続けられた。
戦後は、曽我量深・金子大榮の毎月の出講が軸となり、開館三十周年(一九五二年)には、日曜講演抄録を主とした聞法誌『ともしび』の発行がはじまる。表紙題字は、当時出講することの多かった蜂屋賢喜代の筆である。本誌は、地方の読者からの「御教に会うことの出来ないものにとって、このともしび一枚が生活の頼りであります」という声に支えられ、今も続く。
日曜講演は、戦時下や災害で中断することもあったが、基本、毎週開催されてきた。今は新型コロナウイルスの影響などで休会が増えたが、それでも聴衆は戻ってくる。大正、昭和、平成、令和と時代を重ねた日曜講演は、来年、どのような百年を迎えるのであろうか。
(『真宗』2021年10月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
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