全ての人が命輝いて生きる

著者:尾畑文正(三重教区泉稱寺前住職・同朋大学名誉教授)


もともと阿弥陀仏の本願は全ての命が救われる国土の建立にあります。その国土に生まれたいと願う心は、私が起こす心ではなく、阿弥陀仏の大悲のはたらきにより、私に起こる心です。やがてその心はその心を起こさせた大きな願いに促され、その願いを根拠にして、この真っ暗闇の「私と私の世界」の現実を生きようとするのです。


親鸞聖人の言葉では、「往生、一定とおぼしめさんひとは、(中略)御報恩のために、御念仏、こころにいれてもうして、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれと、おぼしめすべし」(「御消息」真宗聖典六九七頁・初版五六九頁)と表されています。ここに本願の仏道を現実に立って歩む「人」の誕生が説かれています。そういう「人」の生きる表現が「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と願う言葉です。しかし現実はその願いに背を向けて生きています。それは私たちが本当に大切なことを知らないで、自分の人生に自信がもてなくなっているからです。


そして、真実を覆い隠す強い言葉と甘い言葉、繰り返されるミサイル発射を報せるアラートに、いつしか判断力まで鈍り、「やられたらやりかえす」という暴力の連鎖を受け入れていくのです。もし、そうなれば、いつか来た道にまた戻っていくことは火を見るよりも明らかです。あらためて、過去の歴史に身を据えて、自己を深く顧みることが求められています。


第二次世界大戦で日本は侵略国家として東アジアの大地を土足で汚し、アジアの人々は血と涙を流しました。しかしその歴史を反省するどころか、歴史を修正し、改ざんして自己正当化をはかっています。さらには福島での原発事故も忘れ、米軍基地を沖縄に押しつけ、それらの犠牲の上にいま、生きています。このような私たちの現実を見通して、直接的には「他方国土の菩薩衆」に本願の仏道に立つ不退転を願うのが『仏説無量寿経』に説かれる第四十七・四十八願です。


思えば、阿弥陀仏の四十八願は、私の救いは全ての人の救いの中にあることを国土の建立をもって明らかにしています。全ての人が命輝いて生きることのできる国土を本願文に表すことで、人間の救いとは何であるかを私たちに具体的に示しています。そういう国土に目覚め、その国土の願いから退転させないことを阿弥陀仏は誓うのです。


『仏さまの願い―四十八のメッセージ』(東本願寺出版)より


東本願寺出版発行『真宗の生活』(2020年版⑥)より

『真宗の生活』は親鸞聖人の教えにふれ、聞法の場などで語り合いの手がかりとなることを願って毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『真宗の生活』(2020年版)をそのまま記載しています。

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