教学研究所が主催するものの一つに「教化伝道研修」がある。二年間で四日間の研修会を六回行い、それを一期とする。いま第四期の第六回目の研修会が終わったところである。これから修了レポートを提出していただいて、八月末に公開研修報告会と修了式を予定している。
全国各教区から推薦いただいた有教師二十九名が研修生であり、今回は四十八歳を最長老とする三十から四十代を中心とする青年たちであった。その彼らを、教学研究所の研究職・事務職のスタッフ全員と、これまでの教化伝道研修修了生をはじめとする教区からの委嘱スタッフ数名とが迎えることになる。
そしてこの研修会の要となる「聖教の学び」という講義を毎回担当し、班別座談にも入って研修生の声を聞き、応答し、指導する責任者となっていただく研修長を、特に今期は亀谷亨先生(北海道教区即信寺住職)にお願いした。また各回のテーマに応じて六名の方にご講義を依頼している。
今期は、新型コロナウイルス感染症で研修が延期され、実質一年余りの期間で、しかも毎回PCR検査、マスク、黙食といった状況の中で行われた。
そして研修がすべて準備されたとき、新たに研究所長の任に就いて、スタッフの中で一人だけ準備なきまま研修に入ることになった。主催者側の責任者なのだろうが、所在なく、研修生と一緒に聴聞させていただくことしかなかった。久々の聴聞であったが、どの講義も心にしみるものだった。
研修長の講義は、『歎異抄』の一つの章を取りあげ、その主題を掘り下げながら、各回のテーマにも応えていくという、とても重厚なもので、しかもご自身が生活において出遇ったことから教えられた経験などを交えて、実に味わい深く話してくださった。その後は、各班にわかれて担当スタッフと共に講義の確かめをして座談がはじまる。
研修生の中には、各回の四日間が研修であるというよりも、それが終わってからつぎの研修会がもたれるまでの間、自坊に帰っての生活の中で問われた自己と向き合っていく日々こそが、研修であったと所感を話すものもいた。これが六回もつづくのである。
はじめて顔合わせをしたときから六回が経って、確かに何か変化したものがあった。なにか芯のようなものが芽生えだしたのか、おだやかに落ち着きをもったもの、繰り返し自分に帰りつつ静かに話すもの、相変わらず口は重いが居るのがいやではないもの、あるいはそれぞれ親しみのある交わりをなしえて喜びあうものもいた。
これは研修会であって、同時に一つの聞法生活だったと言っていいだろう。スタッフもまた自ら聞法しながら、研修生によりそってその聞法を支えさせていただいたのである。
第六回研修会の直前には、一ヵ月に及ぶ慶讃法要が厳修されたところであった。その第二期法要の結縁には、池田勇諦先生(三重教区西恩寺前住職)のご法話があった。要点のみであるが、少し紹介させていただく。
ご満座とは、終わりを告げる儀式だけではなく、新しく歩み出す出発の儀式でもある、と話し始められた。いまはコロナウイルス感染症の拡大もあって、聞法のさまざまな機縁がすべて奪い去られ、現場はまことに惨憺たる実情である。大谷派なる宗門は同朋会運動をいのちとする宗門である。その同朋会運動の原点、精神に回帰して、そこから再出発しなければならないと強く感じているのだと。
そこで、同朋会運動の提唱者の訓覇信雄先生がよく話しておられた同朋会運動の三つの課題を紹介された。第一は、まことの主体を獲得する「実存の回復」、第二は、日常生活のただ中に教法を中心とした生き方を開く「僧伽の回復」、第三は、人間中心主義を超える「近代の超克」ということであると。
同朋会運動がはたさねばならない課題にこういう三つの事柄があるのだが、私たちの日ごろの聞法の在り方をふり返ったとき、これは何のことかはっきりしないということになっているのではないか。
それは聞法のご縁に浴していながら仏法に出会っていない、仏法を聞くということを私ごとにしてしまっているということだ。いまの三つの課題は、単なる個人の問題にとどまらない、個人と世界をつらぬく問題、それを問い、聞く、それが聞法なのである、と。
この慶讃法要を通して、本当に確かな聞法を一人一人がはっきり身につける、開かれた聞法をはじめなければならない。自分の胸の中に閉じ込めてしまうような閉塞的な聞法は聞法と言えない。このことを、この慶讃法要にお会いさせていただいた所詮として肝に銘じなければならないと強く感ずる。まことの聞法、本当に正しく仏法を聞きとめる問い、姿勢を確立するということが、この法要に会わせていただいた所詮であると。このように繰り返し話された。
教化伝道研修のテーマは「真宗同朋会運動の願いに学ぶ」であり、第六回は「真宗における僧伽」であった。法話で紹介された同朋会運動の第二の課題が、僧伽の回復であり、それは「日常生活のただ中に教法を中心とした生き方を開く」ことであるとも話されていた。だから僧伽の回復とは、まことの聞法生活の回復と言えるだろう。「まこと」とは、仏法に出会う聞法の生活である。
それにしても、同朋会運動が「僧伽の回復」を課題にしているということを改めて考えてみれば、そのときすでに「僧伽」という言葉に新たないのちが吹き込まれていたと言うべきであろう。
この言葉を、改めて用いられたのが安田理深先生である。本人自身の「それはわしが言うたんじゃ」という証言の聞き書きがある(『児玉暁洋選集』第九巻、三八六頁)。しかも「蓮如上人が「御同朋・御同行」といわれたことを、安田先生は「僧伽」といわれた」という児玉先生の指摘がある(同三九二頁)。
ではどうして「御同朋・御同行」を「僧伽」と言われたのか。児玉先生は言う。「安田先生の「僧伽」という言葉は、曾我先生の「法蔵菩薩」の発見に匹敵するような大きな意味をもっていると思います。しかもそれは、単に伝統的に「御同朋・御同行」というのではなく、それを破ってもっと根元に還って「僧伽」という言葉でいわれたことによって、それはヨーロッパにも通じるような普遍的なものになった」と(同三九二頁)。
このたびの六回の研修会は聞法の生活でもあったと思うのであるが、そこで「真宗における僧伽」をテーマとして問いつつ、そのまま同時にそれが・僧伽・という意味を帯びる生活であり、あるいはそれを課題にした生活であったということができる。
そして「真宗における」というテーマは、この聞法生活が、真宗の伝統の中で成り立っているということを意味する。真実の伝統にあるものとして自分を見いだすことが、真宗の僧伽に属するものとなることである。
研修を通して経験した事実は一つである。しかしそれがもっている意味は無限に深い。
([教研だより(204)]『真宗』2023年7月号より)