かつて日本政府が遂行した隔離政策によって、法律が廃止された現在においても、ハンセン病回復者やその家族への差別は厳然と存在しています。
真宗大谷派とハンセン病問題
真宗大谷派は、1907年の隔離政策の開始から、その政策に加担してきました。入所者を憐れむべき「慰安」「救済」の対象とし、人間扱いされない隔離の場で、不満を訴えずに国に感謝して隔離を受け入れることが「救い」であると説き、「病そのものとは別の、もう一つの苦しみ」をもたらしました。
1996年に遅きに失したとはいえ、私たちは被害を受けた方々に対して「謝罪声明」を公表し、あわせて、国の今後の取り組みに対する要望書を提出し、新たな一歩を踏み出しました。
1996年、国の隔離政策に加担し、隔離を奨励してきたことについて、回復者やその家族に謝罪。
謝罪声明にあわせて、国の今後の取り組みに対し提出。
『ハンセン病問題に学ぶ学習資料集』
真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会
真宗大谷派は、1996年「らい予防法」廃止時に、国の隔離政策を支えてきた自らのあり方を謝罪しました。そのことを出発点として、過去から現在に至るまでの差別・偏見からハンセン病療養所の「内と外」が共に解放されていく歩みを始めるために、「ハンセン病問題に関する懇談会」(当時、ハンセン病に関する懇談会)が発足しました。
懇談会は、3つの連絡会と2つの作業部会で構成されており、療養所の入所者、退所者との交流や、研修会の開催などを積極的に行っています。
ネットワークニュース―願いから動きへ―
小笠原登
小笠原登師は、隔離政策に抗した医師であり、真宗大谷派の僧侶です。小笠原師の患者への対応は、隔離政策と真っ向から対立するもので、隔離や断種を必要としないものでした。ハンセン病にについて、「不治の疾患」「遺伝病」「強烈な伝染病」という三つの迷信が患者の不幸を増大していると指摘し、隔離政策が進む中でも、外来診療を中心とする患者本位の治療を行っていました。病気の治療のみならず、家族やその生活にまでも配慮し、可能な限りの方法で、患者を守ろうとしたのです。小笠原師の存在は、現代においてもハンセン病国賠訴訟の闘いなどで、隔離政策を根本から問う力となりました。
真宗ブックレット14『増補 小笠原登 ハンセン病強制隔離に抗した生涯』