家族問題は終わっていない

国立療養所邑久光明園ソーシャルワーカー 坂手 悦子

   

「うちが死んでも、兄には連絡せんといてね。兄もだいぶガタがきていて、息子の嫁さんが世話にしょっちゅう来てんねんて。この前、兄の方から「これで連絡はおしまい。さいなら」って。それが最後。嫁さんにうちのこと内緒にしてあるから、知られたら大変なんよ」。

 邑久光明園のソーシャルワーカーになって二十数年、入所者の方達からこのようなお願いをどれほど聞いてきたことでしょう。右の女性の言葉はほんの数日前のものです。何年も前の昔の話ではありません。

 超高齢化と言われるようになって久しいハンセン病療養所において、ソーシャルワーカーの役割の一つは、入所者の皆さんのエンディング、すなわち「人生の最期」を見据えた思いや希望を聞き取ることです。万が一の時は誰に連絡してほしいか、お骨はどこに納骨してほしいか、遺った財産は誰に相続・遺贈したいか…など。このようなエンディングについての聞き取りは、一度聞き取ったらおしまいというものではありません。先の女性のように唯一連絡を取り合えていたきょうだいが不自由になって連絡が難しくなる、頼りにしていた家族が先に亡くなってしまうなど、家族の状況や関係性は刻々と変化していきます。入所者本人の思いや考え方が、体調の変化などをきっかけに変わることもあります。そうした状況の変化に応じていくために、エンディングの聞き取りは繰り返し行います。

 先月(2022年5月)は、先の女性を含めて五名の方からエンディングについてお話をうかがいました。家族への連絡について尋ねると「連絡できる家族はいない」「家族に連絡してほしくない」という回答が三名あったほか、ある人は次のように語ってくれました。「この病気になって、家族から「早く死ね」と何度も言われてきた。電話のたびに「まだ生きているのか」と。わしも早く死ぬつもりだったけど、ここに来たら結構楽しいこともあってね、もうちょっと、もうちょっとと思って生きてきたらあっという間にこの歳になっていた。家族はね、わしが病気になったことで大変だったんよ。それまで威張っとったのが、誰にも相手にされんようになって。でもね、「早く死ね」と言ったのは別にわしを恨んでのことじゃない。半分は家族を差別から守るため。半分は、わしが生きていくのが辛いだろうと思ってのこと。「早く死ね」は家族の思いやりだったんよ。だから、わしはこれ以上、家族の重荷になりたくない。それがわしの家族への思いやりだ。わしが死んだら、葬儀が終わってしばらくしてから、姪っ子に「死んだでー」って伝えてくれたら、それでええ。入院したからとか、危篤だからと言って連絡せんといてほしい」と。頼っていた姉が亡くなり、今、唯一連絡できるのは、一度しか会ったことのない姪っ子夫婦。一度面会に来てくれたことがある以外、年賀状も日常的な連絡のやりとりもありません。「連絡できる家族はいる」けれども、「家族的な関係性にはない」状況と言えます。このような家族関係は、療養所では別段特別なものではありません。

 入所者の中には、もちろん、家族と良好な関係にある方達もおられますが、躊躇なく家族と連絡を取り合える方はごく少数と言えます。近年は携帯電話の普及によって、以前より随分連絡が取りやすくなりましたが、先の男性のように、連絡できる状況にありながら日常的に連絡を取り合う関係性にはない家族関係や、また連絡できる家族がいても、その家族が他の家族、たとえば配偶者や子供達に入所者の存在を隠しているために、連絡をとる際には慎重を期さねばならないケースは今なお珍しくありません。一般的な医療機関であれば、カルテの家族欄には当然ながら家族の連絡先が記されますが、ハンセン病療養所には家族欄に電話番号の記載のないカルテが多数あります。カルテに連絡先を記載しないのは、家族状況をよく把握していない職員によって不用意な連絡がなされることを防ぐためです。また家族に手紙を送る際も、邑久光明園の名前の入った封筒を使用することはありません。岡山という言葉を見聞きするだけでドキドキするという家族もおられるため、封筒の裏には差出人の住所さえ記載せず、園独自の郵便番号と職員名だけを書いて出しています。何年も前の話ではありません。まさに現在の話です。

 「もはやそのような時代ではないのでは?」「ソーシャルワーカーの役目は、ハンセン病差別に立ち向かうことではないのか」……「いや、入所者や家族が命がけで守ってきたものを私たちが壊すわけにはいかない」「それだけの覚悟が本当にあるのか」…。そんな自問自答を繰り返しつつ、今日も当たり前のように「隠す」お手伝いをしているのです。

 昨年、社会福祉法人ふれあい福祉協会が『「らい予防法」廃止25年アンケート報告書(2021年3月)』を発行しました。このアンケートの実施に協力する中で痛感したのは、やはり入所者が抱える家族問題の根深さです。以下は、アンケートに協力してくれた入所者の回答の一部です。

 「予防法が廃止されて堂々とできるようになったけど、家族に対しては別意識。家族に対しては、必要以上に慎重になっていることには変わりない」

 「社会的には偏見差別はとても和らいだが、家族に対してはほとんど和らいでいない。いまだに実家にも近所にも行かないように気を遣っている」

 「後遺症があまりないので、社会復帰していた時も周囲に病気のことを気づかれずに生活できた。友人もたくさんいた。だけど、家族は別。家族には今も病歴を隠しているし、実家は訪問できない。一部の家族とは縁を切っている」

 2019年6月、ハンセン病家族訴訟の判決において、長年にわたる国の間違った政策が家族への偏見差別を生み出し、家族もまた被害者であることが認められました。同年11月には、国から家族へのお詫びとして家族補償金制度が創設されました。しかし、補償金の請求件数は予想外に伸び悩んでいると聞きます。ソーシャルワーカーとして手続きの支援を行う中でも、他の家族にばれないかとビクビクしながら電話をかけてこられる家族や、手続きの途中で「役場の人や銀行員にばれるのがこわい」「それぐらいの金額のために家族関係をこわしたくない」と言って請求をあきらめる家族がいます。秘密を抱えている人にとっては、「ハンセン病」を冠した手続きの一つ一つが大きな負担になるのです。結局、これまで深刻な被害を感じてきた人たちほど、家族補償金を請求しにくい状況にあるのです。

 裁判に勝ち、国が謝罪したことは大きな意義を持ちます。しかし、行政的な解決をみたために、皮肉にもこれ以上は家族問題について語りにくい…そんな風潮は生まれていないでしょうか。ハンセン病の家族問題は決して終わっていないのです。

  

真宗大谷派宗務所発行『真宗』2022年8月号より