2025年9月7日、原爆投下80年の節目に、長崎県長崎市の出島メッセ長崎にて「原爆80年非核非戦のつどい」が開催されました。つどいの開催に先立ち、東本願寺長崎教会に約300名が集まり、出島メッセまでの平和行進が行われました。非核非戦の碑の前で実行委員長である西教寺住職、田中顕昭氏が「平和とは一人ひとりがつくるもの。世界は繁栄の裏側で暴力と差別に満ち溢れている。本当の平和とは何かを確かめながら一歩一歩、一緒に歩きたい」との挨拶の後、行進は始まりました。繁華街で雅楽を伴いながらの大行進に、多くの方々の注目を集めました。行進のためにデザインされたお揃いのTシャツを着て「非核非戦、共に生きよ」と声を上げ訴え、さまざまなプラカードを掲げて歩く中、長崎の伝統芸能である龍踊りの龍が踊っているのも印象的でした。

平和行進後、午後1時から非核非戦のつどいがスタート。会場には約1,200人の方が集い、壮観でした。開式にあたり、大谷暢裕御門首が挨拶され、つどいの開催テーマである『あなたは、どんな「くに」を願いますか?』『人間に、かえろう。』を紹介。「人間は国を建て、自らの身を置き、そしてその国を守るために、敵国とみなした国と戦争を繰り返してきました」と述べられた時、一月前に長崎で勤修された非核非戦法要で講話をされた森達也氏の言葉「人間には闘争本能があるから戦争がなくならないというが、違うと思う。逆です。人間には自衛本能があるからです」を思い出しました。

次に、木越渉宗務総長が挨拶をされました。非核非戦の碑の裏側、約2万といわれる御遺骨の前で手を合わせたことを述べられ、非戦を「一切恐懼 為作大安」と大無量寿経のお言葉を通し、「あなたが生まれた本当の願いは戦いでは非ずなのだ」と話してくださいました。そして、5月の山陽教区、広島の非核非戦のつどいについて語られ、教区改編で一緒になる四国教区の方々が「かの学びをわが学びとしたい、かの願いをわが願いにしたい」と述べられたことを紹介し、「長崎の学びを九州全土の学びとし、宗門、世界へと発信していきたい」と締めくくられた。

続けて、高校生平和大使の芮序知(イェソジ)さんがスピーチをされ、高校生平和大使の活動紹介、ジュネーブの国連本部への訪問を報告してくださり、平和への活動、思いが多くの人達によって成り立っていることを伝えてくださいました。そして、田中重光氏が当時4歳の被爆体験を語ってくださり、被団協がノーベル平和賞を授与された経緯について、現在の不安定な情勢に対して「被爆者に体験を語ってもらい、戦争と核兵器の恐ろしさを再認識してもらうためだ」と述べられました。

記念講演には同朋大学名誉教授の尾畑文正氏に来ていただきました。尾畑氏は自身が高校生の時に友人から言われた「お前は何のために生きているのか」と言われて何も答えられなかったことから、10歳の頃に遭った伊勢湾台風によって亡くされたお姉さんの遺言「もう少し生きることが出来たなら仏教を学びたい」という言葉を縁として仏教を勉強することになったご自身の経緯を話しながら、学びの過程において度々「自己とは何ぞや。これ人世の根本的問題なり」という清沢満之先生の言葉と相対し、「人世」という言葉に着目して「自己を問うということは、世界を問うことである。世界を問うということは、自己を問うことである。この言葉との出あいを契機に私は浄土真宗という仏教のひとつの人間観、世界観というものを受けとめ、勉強しようと思った」そして、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわこと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」と歎異抄から引用し「念仏というのは仏様の呼びかけです。その中で我と我が世界の本質をいただいていく。その考え方の一つの形が非核非戦ではなかろうか」と考えを述べられました。そして、晩年の親鸞聖人の著作は、我と我が世界の矛盾、不正、歪みを見つめられる傾向にあると指摘され、正像末和讃から「無明煩悩しげくして 塵数のごとく遍満す 愛憎違順することは 高峯岳山にことならず」を引用され、人間の無明煩悩、愛憎違順が、人と人とを対立させ、分断させ、孤立化させることを親鸞聖人が説いていると述べられました。また、法然上人のご出家にまつわる、お父上からの遺言を紹介し、「恨みを捨ててこそ恨みが消えることが世の真実である」と述べ、法句経の「殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」という言葉を引用し、我と我が世界がどうあるべきかを問いかけられました。

尾畑氏はご自身が住職であった時、総代をされていた元軍人の方から戦時中の話を聞き、教えられたといいます。総代の方が「自分が殺さなきゃ自分が殺される。こんな惨いことはない」と仰られたことを紹介し、「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」との親鸞聖人の言葉にもふれ、開催テーマである『あなたは、どんな「くに」を願いますか?』に立ち返り、「戦争をするような、そのようなふるまいをする国にしてはならない」と講話を締めくくられた。

尾畑氏は最後に信國淳先生からいただいた言葉「南無阿弥陀仏は仏様が自らを貴方がたにプレゼントされたのだ。南無阿弥陀仏という名号は、如来の自己贈与である」を紹介。念仏するということは仏様と出会わせてもらうこと、それは、我は煩悩具足の凡夫であり、我が世は火宅無常の世界であるという自覚である。その自覚が我々の生活を彩るであろう。と、ご自身のいただいた言葉を会場に集まられた方々に贈られました。

取材を終え、約1,200名が集った非核非戦のつどいは、念仏の教えを拠り所としていることをあらためて感じました。そして、自由と平等と平和を願う、南無阿弥陀仏のくに、浄土を願われたこれまでのあゆみを振り返るとともに、10年後の90年に向けた新たなあゆみの出発点でもあるのだと感じました。

(九州教区通信員 奥村誓至)