本伝寺の紹介

承元元(1207)年、本願念仏の教えを説く法然上人はじめ弟子数人が流罪や死罪に処せられました。その中の1人であった親鸞聖人は、越後へと流罪に。本伝寺の開基は、その道中、親鸞聖人より教えを聞かれた方だと伝わっています。それから本願寺の東西分派を歴て現在の地に。

 

住職の渕上知明さんは、「お寺といった建物が最初にあったわけではなく、人や言葉に出遇い何か心が動かされ、それをいろんな方と共有し、お互いの生きる道としていこうという所が始まりなんだと思います。それが、今、ここにまで繋がってきたことはとても大変なことで、その歴史に参画していくことの重さを感じます」と話されます。

法語伝道掲示に込めた思い

本伝寺に伺うとまず見えてくるのが参道の側に設置されている法語伝道の掲示板。

取材に伺った9月の法語は、『観経』に説かれる「汝は是れ凡夫なり。心想羸劣にして未だ天眼を得ず。遠く観ること能わず。諸仏如来は異の方便有して、汝をして見ることを得しめたまう」を通した宮城顗(1931~2008)さんの「「お前は間違っている、目を開け」と知らせてくださる人がよき人」という言葉。「「凡夫」とは人間を言い当てる言葉で、それは弱くて自分勝手でありのままを見通すことができない者のこと。仏のはたらきによってこそ見えてくるものがある」と伝道掲示を担当する前住職の一知さんは語ります。

「人間そのものの在り方は自分ではわからない。自分の都合で見たり聞いたりはするけれど、その自分自身がはっきりしない。人間そのものを明らかにしてくれる言葉を毎月選んでいます」という言葉のとおり、伝道掲示板には仏教語のみではなく、「争いからは何も生まれない」(サンリオ創業者 辻信太郎)といった心に留まった言葉も多く採用されています。

読まれた方の反応

2000年から始められている伝道掲示。「文が長いと読みづらい」という声もあり、毎月どのような言葉がいいのか頭を悩ませながら、なるべく短く、そしてなおかつ日常と離れないようにとの思いで選んでいるそうです。

「時々ですが、あの言葉は私のことを言っているみたい」という反応もあり、「あらためて言葉の力、伝わってきた教えの大きさを感じさせられる」とも話して下さいました。

本伝寺は小学校に通う住職の娘さんの登校班の集合場所にもなっており、「声に出してたどたどしくも読んでくれ、一緒に考える時間にもなり嬉しいです」とも。

集合場所で掲示板を見る小学生

本伝寺の教化活動

住職の知明さん

本伝寺では、ホームページの運営や寺報「まんまんだより」の発行もされています。そのことについて知明さんは、「自分でホームページを立ち上げたり、寺報を作ったりしていますが、サボったり怠けたりして滞ることもよくあります。ですが、門徒さんが「たまに見ていますけど、更新されてないよ」とか「まんまんだよりを残して読んでますよ」と声をかけて下さることもあり、その声のおかげでなんとか続けることができています」とのこと。

他にも本伝寺では音楽イベントや、坊守でヨガインストラクターでもある里奈さんによるヨガ教室なども行っています。

最後に、このような活動を通して知明さんは、「いろんな形でお寺に足を運んでもらいたいとは思っています。ですが、やはり教えに遇った人がいたこと、苦しみであったり悲しみであったりいろんな思いを抱えながら教えを聞いてこられ、念仏申されてきた人がいたからこそお寺という形となって現存していることを大切にしたいと思っています。今は少子高齢化や過疎によってこれまでどおりにはいきません。また寺離れとも言われ、儀式も簡略化が好まれたりもします。こういった社会状況を理由にしながら、ただ寺院生活を過ごすということもできます。私がそうなんです。でも、何か空しいということがあるんです。だからこそ教えを聞くとは何だろうとか、人と生まれ人として生きるって何だろうとかをたずねていくことを大切にしたいと思います。私が住職修習を受けた際、帯同して下さった総代さんに、「ご一緒に悩んで下さい」とお願いをしました。その方は「あんたなら大丈夫だよ」と言っていただきましたが、全然大丈夫じゃないんです。内も外も悩ましいことばかり、不安だらけですが、ひとつひとつ雑にならないように取り組んでいきたいと思います」と話して下さいました。

(富山教区通信員 中山順貴)