教化において大切なことはコーヒーから学んだ

(名和 達宣 教学研究所所員)

 苦くて濃くて真っ黒なコーヒーが好きだ、と思い込んでいた。

 かつては、大きなマグカップに粉のインスタントコーヒーを大量に入れて、朝から晩まで一日中、つねに手元に置いて〝チェーン・ドリンキング〟をしていた。そういう生活を続けていたことによるだろう。ある時期からそのドロドロの液体を飲むと、身体に異変が生じるようになってしまった。それでも身体はカフェインを欲していたため、何とかして飲もうと模索し、回数や濃度を抑えるのに加え、豆を挽いてハンドドリップで淹れる飲み方に変えることにした。これまでにも何度か挑戦したことがあったが、結局は毎回、あまり美味しく淹れることができず、また忙しさに流されて、すぐにインスタントコーヒーに戻ってしまっていた。

 今回はそうならないようにと、YouTubeで「コーヒー、美味しい淹れ方」などと検索し、一から勉強し直すことにした。すると、コーヒー愛好家たちによる、簡単で美味しい淹れ方を解説した動画が大量にヒットした。驚いたのは、その大半がコーヒー店をいとなんでいる方であること。コーヒーの魅力と奥深さを知ってもらえれば、きっとお店にも来てもらえるようになるはず、という。そしてさらに驚かされたのは、みな口をそろえて「分量と時間さえ気をつければ、いつでもどこでも誰でも、お店と同じような味を出すことができる」と言っている点。公開すべきは、味の解釈やテクニックよりも、正しい方法であるというのである。

 そこで、多くの方が勧めていた「4:6メソッド」という淹れ方を実践してみることにした。これは、コーヒーの世界大会でアジア人初の世界チャンピオンとなった粕谷哲氏(PHILOCOFFEA代表)が発明したもので、今や世界中で支持されているとのこと。方法はとても簡単で、挽いた豆の15倍のお湯を5回に分けて注ぐだけ、例えば20gの豆に対して総湯量が300gの場合は、60gを計5回注ぐだけでいいという方法である。前半2回の40%(120g)が味のベースとなり、後半3回の60%(180g)は濃度調節であるという。またこれはあくまで基本の型であり、好みや体調、豆の種類によって分量やタイミングはアレンジすればいいとも言われる。【参照】粕谷哲 こだわりのコーヒーの淹れ方(PHILOCOFFIAホームページより)

 最初は疑心がぬぐえなかったが、実際に淹れてみると、確かに美味しくて、ちょっと楽しい。そして何よりも、こんなに簡単でいいのかと、あらためて驚かされた。以来、コーヒーに対する愛着が増し、より友好的なお付き合いができるようになっている。また、それ以前は自分にとってコーヒーはあくまで〝私事〟であり、家族や同僚がそばにいても、自分の分だけを淹れていた。娘に「お父さん、何を飲んでいるの」とたずねられた時には、「これは毒だから、飲んだらだめだよ」と答えていた。それが今では〝公事〟となり、たいていの場合、そばにいる人にもお裾分けしている。飲まれなくても、香りだけで味わってもらえるのがいい。

 この経験は、私の生活スタイルを大きく変える転機となったが、仏教における「教化」を考え直すきっかけにもなった。お寺での法話の折など、これまで私はとにかく力んで、お聖教(仏典)から濃厚なエッセンスを抽出して伝えようとしていたように思う。それは苦くてドロドロのコーヒーと同じで、仮に濃厚であるとしても、他の人が美味しく味わうことのできるものではないだろう。ただし、単純に濃度を薄くすればいいということでもない。「4:6メソッド」においては、後半の60%で重要なのは雑味を出さないことであり、そこで加えられるお湯は、あくまで前半で抽出した豆の旨味や香りを味わうためのものである。

 法話の場合も同様で、お聖教の言葉以外に話す言葉(人や場によって3:7ないし2:8くらいの割合か)はすべて、お聖教を味わうためのものであり、極力雑味とならないよう、注意をしなければならない。重要なのは、「如来の言葉は必ず人に生きてはたらく」ということへの信頼であり、邪魔立てをしてはならないということ。そして、話し手も聞き手も共に、如来に教化される存在であるという原点を忘れてはいけないだろう。