御下向最終日となりました。
福井別院で勤行、朝食を終えて、最終目的地の吉崎別院へと向かいました。
今日も、一般家庭のお立ち寄りが9か所と多く、その由緒についても少しお伺いすることができました。
堅田が比叡山によって攻撃されて吉崎へ逃げる途中、九頭竜川近くで宿を営んでいた先祖が蓮如上人をかくまったという伝承。
当時の北陸道沿いの自宅で屋根の葺き替えをしていたとき、通りかかった蓮如上人がどうしても手伝いたいと申し出られ、いっしょに茅葺きをしたという伝承。
川の近くでお立ち寄り会所を担っていた一族が途絶えてしまったが、会所を無くしてはならないと引き継いだ一族。
今日に限らず、関所や宿場、川を渡ったり、山を越えた場所(現在住居が移動している場合もある)に、会所が多いのです。この伝承を聞きながら歩くことによって、足を痛めながら山を歩き、衣を濡らしながら川をわたり、関所を通る際に宿で休息され、比叡山からの攻撃をかわしながら法義を伝え続けた蓮如上人といっしょに歩いているという感覚が、さらに強くなります。
夜7時30分の吉崎到着に向けて、少しの時間の遅れも無いよう、どんどん気持ちが張り詰めていく中、最後のお立ち寄りの会所で待ち受けていたのは、東本願寺の新入職員。浄土真宗の歴史がどのような人たちのどのような信仰によって支えられてきているのか、そのことを知ることは今後の業務を行う上でも非常に重要なことです。新入職員の、若い声で「蓮如上人のお通りー」という声の中、吉崎へのぬかるんだ山道を早足で歩きます。
到着した時、大きなどよめきと歓声が巻き起こります。準備されていた別の御輿(肩で担いで入堂できる御輿)に御櫃を移し、担ぎ手を任された地元の消防団は、熱気に包まれる本堂に至る階段を登り入堂、すぐに「御輿延しの儀」そして勤行、法話、最後に五辻輪番から無事お着きになったことの御礼、そして吉崎別院が存立しつづけていくべき意義を強く訴えられ、いよいよ御忌法要をお勤めさせていただく姿勢が整えられました。
御忌法要の後、蓮如上人の御影は東本願寺にお帰りになられます。そこでも、同じように蓮如上人に会いたいと待ち受けている多くの方々がおられます。
今年度は御下向を報告させていただきましたが、御上洛については機会をあらためて記事にさせていただくことといたします。
■福井別院(福井県福井市)
■香雲寺(福井県福井市)
■照嚴寺(福井県あわら市)
■吉崎別院(福井県あわら市)
※福井県吉崎別院での御忌法要(4月23日~5月2日)が勤まります。