長崎への原爆投下から69年目を迎えた8月9日、長崎教務所において「非核非戦—共に生きよ—」のテーマのもと、非核非戦法要が勤修された。境内にある「原子爆弾災死者収骨所」には、名前や性別、年齢もわからない1〜2万体ともいわれる原爆災死者のご遺骨が納められており、この収骨所の上に建つ「非核非戦」の碑前と本堂でお勤めが行われた。
勤行に引き続き、八幡朋行氏(仙台教区正西寺)と木ノ下秀俊氏(現地災害救援本部・福島事務所)より法話があった。
震災後、九州から福島県相馬市にあるお寺に入寺した八幡氏は、放射性物質の飛散による「被曝」によってもたらされる日常生活やその苦悩を語り、「不条理の中で生きているけれども、この現実を語り継いでいかなければならない」と訴えた。
続いて、木ノ下氏は、最近、「怒りの広島」「祈りの長崎」に対して、「沈黙の福島」と呼ばれることを紹介。「被曝」によって故郷が元に戻らない哀しみ、不安を生きる中で「沈黙」せざるを得ない現状を語った。一方で、「﹁どうしようもない﹂などの言葉を被災者から聞く度に、﹁いのち﹂が傷んでいるように感じる。あらゆる﹁いのち﹂が尊く、活き活きと生きてほしいと願うのが﹁無量寿のいのち﹂とすれば、真宗門徒として﹁いのち﹂が軽視される現状に声を上げなければ」と語った。
長崎教区が「非核非戦」というテーマと共に歩みを始めて30年近く経つ。それは「核・戦はわれらなり」という懺悔を基点に始まった。そして、原爆による「被爆」の苦悩を背負った長崎の歩みも70周年の時を迎えようとしている。福島、広島、長崎に通底する人間の悲しみ、そして人間の罪業を痛み悲しむ、如来の大悲に応答する、新たな「名のり」が俟たれている。
(長崎教区通信員 武宮法紹)