東本願寺に参拝される方々に浄土真宗の教えにふれていただく機縁となるよう真宗本廟教化リーフレットを制作・配布していますのでご紹介します。参拝の際、ご自由にお取りいただけるよう参拝接待所、総合案内所並びに大谷祖廟事務所等にパンフレットスタンドを設置しています。
お守りを持たない理由
どこの神社でもお守りは売られていますし、お寺でも置いていないところの方が珍しいくらいです。形もさまざまで、昔からのお札(ふだ)、かばんなどにぶらさげるもの、またかわいいシールになっているものまであります。
効力にもいろいろあって、合格祈願や恋愛成就などの願いごとをかなえるためのもの。交通安全や家内安全といった無事を祈るもの。また、厄除けや病気平癒など嫌なことの消滅を願うもの、などなど。
しかし、本当に効力があると思っている人はどれだけいるでしょうか。願ったとおりにならなかったからといって、お守りを買った先を訴えたという話を聞くことはあまりありません。お守りが気休めでしかないことを実はわかっているのです。わかっていながら、軽い気持ちで、だんだんとはまり込むのです。
たとえば、交通事故にあったのはお守りを忘れたからだとか、商売がうまくいかなくなったのは始めた日が悪かったからだとか、不幸が続くのは名前の画数が悪いからだとか。問題の原因さがしに追われたり、もっと効力のあるお守りをさがし求めたり、振り回されていくのです。
自分にとって良いことを追い求め、都合の悪いことを避けようとする、これは人間の性分といっていいでしょう。しかし、良いことだけを追い求める生き方は、必ず悪いことを恐れるようになります。そして悪いことが続くと、自分の人生までも呪ったりするのです。
どのような状況に投げ出されたとしても、自分の人生は誰とも代わることはできません。しかし、それは同時に誰とも代わる必要のない人生なのです。お守りをもたないということは、良し悪しを越えて、現実と向き合っていこうとする生き方の表現なのです。
一楽 真 大谷大学教授