『お彼岸 春』2014年版 表紙死んだひとびとは

還ってこない以上

生き残ったひとびとは

何がわかればいい

これはフランスの詩人ジャン・タルジューの詩の一節です。池田勇諦先生が、ある書籍の巻頭に書かれていた言葉ですが、私にとっての一つの座右の銘となっています。

今年は、私の母が亡くなってから十七年目の春のお彼岸を迎えます。お寺やお坊さんが大好きだった母ですが、母が育った実家と違う宗派のお寺に入寺した私には大変戸惑っていました。

「念仏を称えると無間地獄に落ちるっていうけど、大丈夫なの?」と真剣に問い尋ねる母との問答は、母が病に倒れるまで続きました。しかし、その母からの問いかけが、のちに私が得度をし、僧侶となる導きになったことは、今思うと不思議なご縁であります。

やがて母はやせ衰え、余命があとわずかであることを感じたようで、「伝えたいことがある」と、私と姉を病床に呼び寄せました。

「私が死んだら、浄土真宗のお葬式で見送ってほしい」。

そうして迎えた葬儀の日でしたが、姉は始終浮かない顔をしていました。母が生前気にしていたことを心の片隅に抱いていたのだと思います。

そんな姉でしたが、今では「親鸞さん、親鸞さん」と親しみを込めて私に話します。

姉を浄土真宗に帰依させたご縁は、母の葬儀の時に拝聴した「白骨の御文」でした。人間の一生を「まぼろしのごとくなる一期なり」と始まり「我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず」「朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり」。はかなき人生の無常さを感じたのでしょうか、姉は嗚咽するように泣き出し「白骨の御文さんを生まれて初めて聞かせていただいた。限りある人生を悔いなく生きていくことが大事だね」と私の手を握りしめて泣き続けました。

それは、亡き母からの声なき声のメッセージであり、人生の一大事を教えられた瞬間でもありました。

「亡き人を案ずる私が、亡き人から案ぜられている」というお言葉があります。

大病を患ってから十三年目になる私は、今年のお彼岸も母の墓前に牡丹の花を供えられることに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

「たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり」南無阿弥陀仏。

岡崎教区等周寺坊守 天野 美津子

『お彼岸 春」2014年版より