私はお盆というと、この時期に亡くなった祖父のことを思います。私が生まれる数ヵ月前に、家族に看取られながら家で息をひきとったそうです。その時の話や、祖父がどういう人だったかということを、祖母や母から聞きました。
祖父は、真宗の土徳の篤い北陸の門徒の家に生まれ、お念仏を大切にする母親から仏法聴聞が大切だと育てられました。父親を早くに亡くしてからは幼い弟妹の親代わりとなって一所懸命に働いたそうです。そして、自分の息子が「僧侶になりたい」と言った時、大変感激して「お寺を建てる」と宣言しました。家族は驚きましたが、この世で一番大切なことは仏法聴聞、と教えられた祖父には世間の人が考える困難さは問題ではなかったのです。それでも大変な苦労をして、やっとお寺を建てたのですが、四年後におこった伊勢湾台風の被害にあい、心労のあまり病にたおれ、翌年亡くなったのでした。
しかし祖父が生涯をかけて、お寺を建てることに奔走したのは、自分だけのためではなく、すべての人に仏様の教えを聞いてほしいという願いからでした。ただ一度きりの大切な人生を真実に生きてほしいという、とても大きな世界にふれていたからだと思うのです。
私たちは「命日」を大切にします。それは亡くなった方を決して忘れず、その生涯をかけて示された願いをきちんと受けとめることが、私たちにとって重要だからです。それは、人間を沈みこませるものではなく、立ち上がらせるものです。
二〇一一年三月十一日の震災では多くの方が亡くなられ、その家族をはじめとする縁のあるすべての方々が、悲しみに包まれました。しかし、いつの間にか「復興」というかけ声の中で、亡くなった方の「もっと生きていたかった」という声をおろそかにしていないでしょうか。
私が震災の地に行かせてもらうのは、震災を忘れたくないことと、そこで出会った方々と親しく交わりたいからです。その友をとおして亡き人の声を聞き続けたいと思います。
三重教区西恩寺衆徒 狐野やよい(この やよい)
『お盆』2014年版より