仏の教えが私のところまでたしかに伝わったと言えるのは念仏であった。
仏の教えが私のところまでたしかに伝わったと言えるのは念仏であった。

仏陀によって説き明かされた経典が、人類の歴史の中を今日までたしかな足どりで伝わってきたということは、人類に何かを与えたからである。もし経典が人間に何も与えないのなら、今日まで伝わるはずもない。

仏の教えが私のところまでたしかに伝わったと言えるのは念仏であった。

私はやかましい祖母の育てを受けた。どんな寒い雪の日にも、仏前に座っておまいりをしないと朝食をとらせてもらえなかった。もう学校が遅くなるときでもおまいりをしないと許してもらえなかった。お内仏ですまそうとすると、本堂へ参れ、と叱られたものである。走って本堂へ行き、大きい鏧(かね)をたたいて、一番短いお勤めをして朝の食事にありついたものである。大きい鏧をたたくのは、祖母は耳の遠い人だったから、お婆さんに聞かすためであって、仏さまが有難くてまいったのでは毛頭ない。私の念仏は、食糧問題の解決から始まったようなものである。

しかし、今にして思うと、祖母はたいした人だったと思う。たとえ学校は遅刻しても、これだけを、と私の身にかけてくれた願いは、全人生的なものを教えようとしてくれたのである。私は今日、こうしたものをもたなくなった現代人の在り方が近ごろ問題になってきた。

しかし、子どものころのそのままでよいのではなかった。成長するにしたがい、何もかも疑って見るようになってきて、念仏とは何だ、とこれも私に問いを起こさせる最も大きいものであった。それゆえ、仏陀は称えよ、と言いつつ、聞け、と教えてくださったのである。それは、念仏は仏の教えられた法であった、ということである。念仏が私のところまでたしかに伝わったというのは、人間に何かを与えながら今日まで伝わったのである。何も与えなかったら、地上から消え去って行ってしまったに違いない。

念仏が人間の歴史の中をたしかな歩みをつづけて私のところまで伝わったのは、南無を与えたからだと思う。南無阿弥陀仏と称名してくださったのは仏陀であるが、この言葉は、どこの国の言葉にもならなかった。仏陀の称名されたそのままが、遠く久しく、そのまま今日に至っているが、阿弥陀仏に南無せよとの仰せである。私たちの先輩は、この南無せよの仏の仰せをたずねて歩んだ方々であった。南無するとはどういうことか、このことをたずねて仏の道を学んだのであろう。

私は親鸞聖人の教えに遇う身となったことにこの上ない喜びを感じている。それは、親鸞さまほど純粋にこの南無する身となることを教えられた人を知らないからである。もし、南無を正しく受けとったら仏教各宗は手が握られると思う。

南無は如来のはたらきかけであり、それによっていのちのめざめだと教えてくださった。思えば、このみ名により名もなき小さな存在が、いのち尊しと叫ぶ身とならしめていただくことができた。

『今日のことば 1975年(7月)』 「念仏の大道に いのちの流れあり」