これはな、わしがにいに(新たに)念仏するためだよ
これはな、わしがにいに(新たに)念仏するためだよ

雪深い山賀家に住むスエばあさんは、毎日、松の葉や椿の小枝をとって仏前にたてて、朝のおまいりをするので、「冬はそんなに早くは枯れないから、毎日お花をあげんでもいいでしょう」と嫁が言った。すると「これはな、わしがにいに(新たに)念仏するためだよ」と言ったそうである。

蓮如上人は「馴れては手ですることを足にてするぞ」とおっしゃった。はじめに立つ心は謙虚である。しかし、人間は狎(な)れる。初めて嫁いだ日「つまらぬものですがよろしくお願いします」と言って、両手をついて挨拶をして出発した。1年、2年とときがたつと、つまらぬものです、と言った謙虚さは失われてしまい、ついに、何十年もたったら「わしがおらんとこの家はたたん」とまで居座ってしまうのが凡夫のつねである。

スエ婆さんは、なれては手ですることも足でするような無感動な生き方をおそれたのである。たとえそれが仏前に座る一時(ひととき)であっても、そこからわが人生が始まるような初一念に立つことを大切にした人であったのだろう。

雪深いこの地方は、花らしいものはほとんどなくなってしまう。たとえ南天などはあっても、雪にかくれている。彼女は、洗面をすませたその足で杉垣の小枝を一本とって華瓶(けびょう)に立て、お燈明(とうみょう)をともし、お香をたいて正信偈をおつとめするのが毎朝の行事であったろう。しかも、そのことも毎日続くことによって習慣化し、何らの新鮮味もおぼえず過ごす自分を見つけたに違いない。その古い殻を破るために、毎朝一本のお花を新しく立てて、にいに念仏したのである。

「一つことを聞きていつも珍しく初めたるように信の上にはあるべきなり云々」

と蓮如上人も教えて下さった。にいに念仏するとは、珍しく初めたるように歩んだ彼女の言葉である。日に新た、という言葉はあるが、今をはじめとする歩みは、いのちそのものの相(すがた)である。

源信和尚(げんしんかしょう)の教えの中に懈慢国(けまんこく)という言葉が説かれている。ここから西の方へしばらく往くとこの国があり、多くの人がここまでは来るが、さらに進んで弥陀の浄土にいたる人は億千万人の中でときに1人あって前進すると言われる。この懈慢国の住民は懈怠(けたい)で驕慢(きょうまん)であることからこの名があるようである。懈怠とは精進しないことであり、驕慢は恭敬(くぎょう)を失ったすがたである。ともにいのちの枯れたすがたである。

もの皆が生かされている、生きている、こうしたいのちに感動することのできる身には、何もかも同じいのちにささえられている広くゆたかな現実に立って、今をはじめとするような人生を歩むことができるであろう。

『真宗の生活/今日のことば 1975年(10月)』 「わがいのち すべてのものに生かさるる」