1996(平成8)年 真宗の生活 3月
<たんぽぽのにがみ>
春まだ浅い野に出て、たんぽぽを摘んでくる。地面にへばりついたうすい緑の葉を、爪の先で一枚一枚そっとはがす。そうやって集めて何度も洗い、ドレッシングで和える。ピンピンしていた葉が少ししんなりするころ食べると、それはそれはおいしいサラダになる。さわやかなにがみが口中に広がつて身体中の血がサーッと動き出すような気がする。長い冬と別れる直前のわずかな間に食べる草である。
たんぽぽを早春に食べる習慣が、朝鮮の人たちのものであをことを知つたのは、数年前の『朝日新聞』「ひととき」欄であつた。年齢からして祖国朝鮮のぐらしを知っている人の、望郷の想いを秘めた文章に胸を打たれて以来、この習慣は私のものとなった。
たんぽぽを冷たい水で洗うとき、朝鮮という国のことを考える。その国の歴史を思い、文化を思い、在日朝鮮・韓国の人たちのことを思う。それとともに、その国に侵略し、圧政を強い、言われるまでは、自分たちのしてきたことの意味に気づく力も持ちあわせなかった私たち日本人のことを思い、この国の歴史を考え、文化を考える。
海の向こうの国を思うとき、アメリカやヨーロッパしか考えなかった私の子どものころ、若いころを考える。いちばん近い国、お隣りの国という感情を持つことなぐ育ってしまった自分に思い至って、鋭い痛みが胸を刺す。たんぽぽのにがみは、その痛みと重なってくる。
「知らない」ということは、二重の罪を犯すという。まちがったことを真実と思いこむこと、そしてそれを伝えていくことだと聞いた。せめて次の世代に、まちがったことを伝える過ちを犯さないために、真実のことを学びたいと思う。
祖国の風物も知らず、文字も知らず、言葉も知らない在日朝鮮・韓国の子どもたちも育っている。祖国の人たちがたんぽぽを食べて、春の訪れを知る習慣を持つことを、その土地で味わうこともないままに。
『真宗の生活 1996年 3月』「たんぽぽのにがみ」