1996(平成8)年 真宗の生活 4月
<民衆のいのり>
光があふれて冬が去り、花咲く頃になると蓮如さまの御仏事(蓮如忌)がはじまる。今年もまた北の吉崎に向けて、蓮如さまの御影が真宗本廟を後にされる。
お念仏の声とともに、いなかの人々にまもられ、いなかの人びとに拝まれながら。
五百年のはるか昔、乱世のさ中に、民衆のいのりにこたえて、自信教人信の誠を尽くされた蓮如さま。
民衆の全存在をあげてのいのりにこたえて、「本願を信じ、念仏をもうざば仏になる」といういのちの真実を、全存在をもって示された蓮如さま。
今日、世界的な動乱のさ中にあっても私たちは、自らの生と死を、そして共に在ることを、蓮如さまと共に生きた民衆のいのりに達するほど深く、問うたことがあるだろうか。
身をすてて、平座にて、みなと同坐するは、聖人のおおせに、「四海の信心のひとは、みな兄弟」と、仰せられたれば、われも、その御ことばのごとくなり。
(『蓮如上人御一代記聞書』真宗聖典862頁)
身をすてて(全存在をもって)民衆のいのりと同座され、さらには世界の民衆のいのりと一つになられた蓮如さまが、今、お念仏の声とともに吉崎に向かわれる。
『真宗の生活 1996年 4月』「民衆のいのり」