2002(平成14)年 真宗の生活 4月 【煩悩】
<七宝の宮殿>
「私にはこの人のこの話のこの部分は信用できる、この部分は信用できないという印象みたいなものに何故か確信がありました。経験的に、あるいは直感的に、そういうのを取捨選択していく能力には変に自信みたいなものを持っていたのです」。
これはある新新宗教に入信している人の言葉です。いろいろな問題を感じますが、新新宗教に入っている人だけでなく最近の人に多いのは、「自分はこういう人間である」という、自分を語る形での表現です。そこには他を拒絶するような、大きな自己への関心が感じられます。そして自己評価。「他の人には評価はさせない、自分は自分だ」ということです。
その裏には傲慢と怖れとが入り混じっているように思います。自らを評価することは、他の人による評価を遠ざけます。あるいは自分を守りたいがために、自己評価をして必死に壁を作っているのかもしれません。
それはたとえば『仏説無量寿経』に説かれているように、七つの宝で飾られた牢獄に金の鎖で縛められた王子そのものです。そんな自己を飾る傲慢と人の評価を怖れる世界を出たいという根本的な欲求が私たちには有る、ともそこには書かれています。
『真宗の生活 2002年 4月』【煩悩】「七宝の宮殿」