2003(平成15)年 真宗の生活 5月 【本尊】
<生き方探し>
以前から若者たちの問では「自分探し」という言葉が流行り、日本経済のバプル崩壊後は中高年者の間では「生きがい探し」ということが言われています。そして最近では「生き方探し」という言葉まで作られています。
そこでは、情報技術や生命操作技術の発達によって産業構造が大きく変化している現代に生きる私たちが、どのように対処していけばいいかという答えを求めているようです。自己実現とか自己表現とかと声高に叫ばれ、いかなる状況にも耐えることのできる能力を養い、財力を蓄え、逆境を切り開いぞいく方法を追求するようにけしかけられます。
ここで一つ考えてみたいのは、果たして私には、私の追い求めている物を手にしたとき、本当に満足するということがあるのだろうかということです。あれも欲しい、これも欲しいと、次から次へと手に入れ身につけても、少しも満ち足りているとは思えないのが、私たちの日々の生活ではないでしようか。
そういう私の姿を照らし出し、そういう私をこそ拯おうとはたらいてくださっているのが、阿弥陀仏なのです。仏さまによって、欲望に心迷わす無明が破られ、すべてのものと関わり合いながら生きている私が、かけがえのない存在として生きたいという願いを満たしてくださるのが、南無阿弥陀仏なのです。私の人生の依り処となる本尊、本当に尊い事との出遇いをこそ、私にとっての「生き方探し」にしたいものです。
『真宗の生活 2003年 5月』【本尊】「生き方探し」