2003(平成15)年 真宗の生活 7月 【善人】
<南瓜泥棒>
「南瓜を盗られた者が助かるか。盗った者が助かるか」
この人を喰ったような質問は、暁烏敏という方のものです。そこで私は、「そんな事は考えるまでもない。何の罪もない被害者の方が助からなければならないに決まっている。盗みは悪い事なのだから、盗みを働いた者は当然それ相応の報いを受けるべきだ。そうでなければ、不公平だ。自分がそのような状況に置かれるのなら、盗る側よりは、むしろ盗られる側になりたい」と自信をもって答えます。…で、その答えは?
「盗った方が助かる」
えっ、どうして?
しかし、聞いた話はここまで。詳しい理屈や論理は分からないけれど、要するに、「悪人の自覚」があるのかどうか、ということが暁烏さんの問題にしたかったことのようです。
最近、殺人事件などの裁判で犯人の量刑や人権擁護ばかりが論議されて、被害者や遺族の苦しみの現実が顧みられないことが問題になり、被害者救済の道を確立しようという動きがあります。当事者ではない私は、人権を無視された犯人、さらには論議の置き去りにされた被害者の方へと身をすり寄せて考える善人意識に立っています。そう、私は「傷つけられ苦しんでいる者の側に立つことを行動原理とする」ことを口先だけで標傍して羞じない、立派な善人です。さて、皆さんなら、この質問にどう答えますか?
『真宗の生活 2003年 7月』【善人】「南瓜泥棒」