“悲しみ”が教えに出遇う“縁”となる人の繋がり

 

 

【悲歎に暮れる人々と向き合う取り組み】

 

東京都世田谷区の閑静な住宅街に建つ存明寺(東京教区東京5組)では、3ヶ月に1回のペースで「グリーフケアのつどい」が開かれています。この取り組みは、8年前から存明寺の宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌事業として始められ、32回(2015年6月末日現在)に亘って継続されてきました。

 

この取り組みの背景には、大切な方を亡くした悲しみに寄り添い、その悲歎に耳を傾ける中で仏法を聴聞し、「生きる力」を回復していくような仏事の本来性を形にしたいという酒井 義一住職の真摯な姿勢があります。「悲嘆に暮れる人々と向き合っているのか、背を向けていないか、気の利いたことを言おうとしているだけでないか、と自分の姿勢に疑問を感じていました。それが、取り組みを始めたきっかけです」と酒井住職は述べられていました。

 

そして、その酒井住職の思いをご門徒にお伝えしたところ、7人の方々が協力してくださることになり、「グリーフケアのつどい」への準備が進められていきました。

「グリーフケアのつどい」の運営スタッフ。存明寺のご門徒以外にも、近隣寺院のご門徒や真宗会館をご縁として参加された方も居られます。
「グリーフケアのつどい」の運営スタッフ。存明寺のご門徒以外にも、近隣寺院のご門徒や真宗会館をご縁として参加された方も居られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ご門徒の“優しさ”が形作った「場」の力】

 

グリーフケアは、大切な方の「死」という悲歎に向き合うため、参加される方が抱えた事情も千差万別です。また、その悲歎の奥底には、怒りや慙愧の思いなどが渦巻いて、表面上の慰めの言葉が通用しない課題と向き合わなければなりません。スタッフの一人が、「グリーフケアは心の外科手術だと思っています。失敗が許されることではありませんし、何気ない一言がかえって人を苦しめることにもなります」と言われるほど、中途半端な姿勢で臨めばかえって相手を傷つけてしまうことにもなりかねません。そのため、一口に悲しみに寄り添うと言っても何の準備もなく取り組めるものではなく、一定の専門の知識も必要となることがあります。

 

そのため、酒井住職は自らセミナー等を受講して必要知識を習得されるとともに、スタッフ学習会を開いてその知識をご門徒に伝えられ、グリーフケアに関わるスタッフの間で丁寧な情報共有に努められてきたそうです。

 

ただ、グリーフケアの取り組みを進める中で、驚いたことは、専門知識を越えたところで一人の「人」として、その場に向き合うご門徒の姿だったそうです。

 

ある日の「グリーフケアのつどい」のこと、ある参加者が大切な方を亡くされ、心の中にずっと閉じ込めていた悲歎を必死に吐露しようとされていました。すると、スタッフの女性は、その参加者をひしと抱き寄せ、頭を撫でながら、一緒に涙を流していたそうです。まるで、お母さんが自分の子どもに接するように包み込むスタッフの女性の優しさに触れ、その参加者は心の落ち着きを取り戻されたのだといいます。自分も悲しみに向き合ってきたからこそ、他の人々が抱える悲しみに寄り添わずにはいられない、「グリーフケアのつどい」は、そんなご門徒の優しさや暖かさに包まれた場所になっているのです。

 

時を経て、かつて参加者だった方々の中から運営のお手伝いをされる方々が生み出され、設立当初のスタッフからも「そろそろ次の世代に方に担っていただいた方がいいですね」との声が寄せられ、現在は、2代目のスタッフ(準スタッフ1名を含む合計7名)で運営がなされています。その中には、あの女性スタッフに抱き寄せられた参加者の方も参画されており、「グリーフケアのつどい」が持つ優しさを伝えるお手伝いをと尽力されています。

 

 

【“悲しみ”が教えに出遇う“縁”となる】

 

「グリーフケアのつどい」は、①お勤め、②酒井住職のミニ法話、③自分を語る(座談会)、④音楽鑑賞(スタッフがチョイスした音楽を聴く)という日程で行われます。

 

酒井住職のご友人のお母様が遺された言葉。言葉を前に涙を流される参加者も居られました。
酒井住職のご友人のお母様が遺された言葉。言葉を前に涙を流される参加者も居られました。

今回のミニ法話の中で、酒井住職は、突然死されたご友人のお母様が残された、「涙の出るようなご縁に遇わないと、仏法は響かない」というお言葉を紹介されました。大切な方を亡くすことは本当に辛く悲しいことではあります。ただ、その悲しみをとおして大切な方に思いを馳せる中で、ご友人は生前にお母様が繰り返しおっしゃられていたその言葉を思い出したのだそうです。最後の言葉を交わすこともできなかった後悔や悲しみを簡単に乗り越えることはできないけれども、その悲しみがあったからこそ、これまで何気なく聞いていたお母様の一言が、仏法と向き合う自分自身の姿勢を問いかえす“教え”として響いてきたのだそうです。

 

悲しみを受ける辛さはない方がいい。私たちはそう思って日々を生きているかもしれません。しかし、私たちの思いとは裏腹に、突如として悲しみの経験をすることが必ずあります。その悲しみが苦痛のままで終わっていくのか、「生きる意欲」を回復する大事なご縁になるのか、そこには決定的な異いがあります。

 

辛く悲しい喪失体験が悲歎を抱えた人々と出会う縁となり、ともに集った一人ひとりの語る言葉が自分にとって今日を生きる「意欲」になっていく、それが「グリーフケアのつどい」の持つ大きな力です。スタッフのお一人は、「ここで仲間に会って皆の声を聞いていると、鬱々としたものが回復していくんですよ。グリーフケアのつどいがあるから、3ヵ月後まではがんばって生きようという気持ちになります。この場は私にとってなくてはならない「場」ですね」とおっしゃられていました。

 

休憩時間には、自然発生的にコミュニケーションの輪ができます。スタッフの謂く、「休憩時間は、より素直に話もできますし、横の繋がりも深まります」とのこと。休憩時間重視の時間配分も検討中だそうです。
休憩時間には、自然発生的にコミュニケーションの輪ができます。スタッフの謂く、「休憩時間は、より素直に話もできますし、横の繋がりも深まります」とのこと。休憩時間重視の時間配分も検討中だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【安心して自分を語ることができるためのルール】

 

「グリーフケアのつどい」には、大切な方を病気や自死などで失った方を中心に、生きることに閉塞感を覚えながら「なぜ生きているのだろう」と自分の存在に問いを抱えた方など、様々な方が参加され、おのおのが抱える苦悩や悲歎に耳を傾ける「傾聴」に重きが置かれています。そして、①話を聞くことを大切にします、②自分を語ることを大切にします、③聞いたことは外部にもらしません、④発言を強要しません、⑤悲しみを比べません、⑥くりかえし同じことを語ってもいいのです、⑦時間を大切にしますというルールが定められています。これは、誰もがそのままの自分を受けとめてもらえるという安心感の中で自分を発露することができる環境を整えるための配慮として、誰もが十分に理解して守るように努めています。

 

誰もが安心して話すことができるように、7つのルールが定められ、話を始める前にスタッフが丁寧に説明されます。
誰もが安心して話すことができるように、7つのルールが定められ、話を始める前にスタッフが丁寧に説明されます。

このように、誰もが安心して身を置くことができる場で、悲歎を抱えた方が「私も、辛く悲しい思いもしましたが、この場に足を運び皆さんの言葉をいただく中で、大切な人の死をこのように受けとめられるようになりました。」と微笑んで話される一言には、何物にも代えがたい力強さが溢れていました。

 

 

 

 

 

 

 

【まずは小さな一歩から】

大切な人であるからこそ、失ったときの喪失感は想像以上に辛いものです。「グリーフケアのつどい」に足を運ばれる方々の中には、「最期の言葉を交わせたなら」、「あの時、私が気付いてあげられれば」と後悔を吐露される方も多く居られます。大切な人であるからこそ、会いたくても会えないからこそ、その方の影を求める気持ちは日増しに強くなっていくことでしょう。

 

そのときに、一人で抱えることができないほどの悲しみであったとしても、「グリーフケアのつどい」に集まる方々のように、その苦悩に寄り添って歩みをともにしてくださる方が傍にいたなら、悲しみを抱えつつも人生を歩んでいく一歩を踏み出せるのではないでしょうか。

 

かつては、地域コミュニティの中にも、悲しみに寄り添って歩みをともにしてくださる方が居られたものでした。しかし、経済成長とともに地域コミュニティも失われていき、都心部では、義理や人情に厚いと言われてきた「下町」ですらも、近隣の人の繋がりは薄れ、折れて倒れてしまいそうな心を支える存在を失っています。そのような闇を深めた都心部にあるからこそ、互いに悲嘆を抱えながら真摯に寄り添い、大切な人と再び出会うことができる場を、誰もが必死に求めているのかもしれません。

 

まさに、酒井住職が取り組む「グリーフケアのつどい」は、そういった社会からの要請に積極的に応答しつつ、宗教者が担うべき責任を果たす具体的な歩みの一つだということができるのではないでしょうか。

 

存明寺外観
そうした取り組みや精神を広く共有し、互いに助け合いながら盛り立てていきたいと願い、酒井住職は、教区内でグリーフケアの活動をしている寺院はもちろん、教区外や他宗派、あるいは他宗教のグリーフケアに取り組む方々とも交流を深めています。現在は、少しずつ取り組みをともにする方々が増えてはきましたが、それでもまだまだ多くはないそうです。

 

「宗派としても、小さな一歩でもいいですから、まずはその一歩を踏み出していただきたいですね。」と述べる酒井住職の一言を聞き、スタッフの方々は深く噛み締めるように頷かれていました。